【導かれるままに情報発信をする】

記事
学び

安田です。
情報発信は
学んだことを
発信していくのですが
ただ伝言ゲームのように
同じことを発信するのではなく
導かれるままに
発信していくことで
知識に付加価値を
つけることができます。
同じことを学んでも
人それぞれで解釈が違い
気づけること
悟れることが違います。
気づきや悟りというのは
レベルの違いではなく
今までの経験や体験の違いによって
解釈の違いが出てくるのです。
導かれるままに
情報発信をするというのは
潜在能力を発揮しているということです。
教育の拡大は
教える人が
潜在能力を発揮することで
拡大されていきます。
同じことを
同じように教えるのでは
単なる伝言ゲームに
なるだけなので
教育が拡大されないし
発展していかないのです。
自分の潜在能力を
発揮していくには
感じていることを
言語化していくことが
必要なのです。
どんなに多くのことを
学んだとしても
学んで感じたことを
言語化できないと
学んだことを
定着させることが
できなくなります。
潜在能力の発揮は
インプットとアウトプットを
続けていけば発揮できます。
アウトプットを前提に
学ぶことで
学ぶ姿勢、動機が
正されていくのです。
学んだことを
循環させることで
知識が拡大されていき
より発展されていくのです。
現実は
ほとんどの人は
受け身で学んでいて
ただ学びっぱなしに
なっています。
学んだことを
情報発信しないのです。
学ぶことを
深刻に受け止めた場合
学んだことに
責任があるということです。
単に一個人の
知識を増やすことだけが
教育の目的ではなく
教育を拡大させていくことが
大きな目的でもあるのです。
今はいつでも、どこでも
誰でも学べる環境が整っていますが
同時にいつでも、どこでも
誰でも教育ができる環境も
整っています。
教育ができる人が
増えていくことで
潜在能力を発揮する人が
増えてくるのです。
潜在能力は
出し切って
やり切って
投入し切ることで
発揮することができます。
潜在能力、潜在意識というのは
文字通り潜在しているので
当たり前にできる
日常の中では発揮されません。
なぜなら
顕在意識でできることに
潜在意識を使う必要がないからです。
情報発信というのは
意図的に投入しなければできません。
投入することで
顕在意識の限界に達し
潜在能力の発揮ができるのです。
これからの教育には
潜在能力の発揮が必要なのです。
教育というのは
必ず言語化されていて
言語というのは
言葉になのです。
言葉には魂が
宿っているので
潜在能力が
発揮されるのです。
どんな人にも
潜在能力があります。
その潜在能力を
言語化していくために
言葉を身につけることが
必要なのです。
学びというのは
知識を覚えることではなく
魂が知っていることを
言語化するためでもあるのです。
学んだことを
導かれるままに
情報発信していくことで
潜在能力の発揮ができ
教育を拡大
発展させることが
できるようになります。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す