【体験を価値視する】

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日常的スピリチュアル、安田です。

体験というのは
良くも悪くも
価値があります。
良いか、悪いかは
私たちの都合の解釈なのですが
どんな体験でも価値視する
ことができるのです。
体験を都合よく
解釈することができれば
体験を通して学ぶことができ
力を身につけることができ
成長することができるのです。
成長の観点から見た場合
刺激的な体験が
多ければ多いほど
恵まれた環境なのです。
本当の育ちの良さというのは
何もかもが揃っている
恵まれた環境ではなく
適度な不足さがあり
努力をしなければ
死活問題になるような
環境なのです。
私たちは
追い込まれないと
必死になることが
できないのです。
過去に追い込まれた経験があると
その経験を二度としたくないので
環境から追い込まれる前に
自分で自分を追い込んで
基準を下げない歩みを
続けることができるのです。
体験というのは
導かれて与えられる
ことでもあるのです。
与えられるのは
必要なことなので
与えられるのです。
その必要なことの基準というのは
私たちには分からないのです。
「こんなことは意味があるのか」と
感じることがありますが
意味がどうであるのかは
分からないのです。
意味が分からなくても
漠然と必要なことが
与えられていることを
信じていけばいいのです。
何が必要なのかは
長期視点でないと
悟れないのです。
後になってから
過去の体験を
活かすことができるのです。
体験をいつ活かせるのかは
分からないのです。
今の体験は
1年後、3年後、5年後
場合によっては10年後に
活かせるようになることもあります。
体験は
取り消すことは
できないのです。
努力をした体験は
取り消すことが
できないので
積み重ねる歩みが
できるのです。
「自分の体験は大したことはない」と
考えてしまうのですが
全ての人は唯一無二の体験をしています。
同じような体験でも
感じている境地が違うので
体験が違うのです。
なので
自分の体験を価値視して
その体験を活かすことで
価値創造の歩みができるのです。
これからの時代の創造は
体験を通して
創造していくのです。
体験といっても
大それたことで
なくてもいいのです。
現実の環境は
同じようなことの
繰り返しになるので
新しい、刺激的な
体験がしにくいのですが
同じような歩みでも
より投入する歩みをすることで
刺激を感じることができるのです。
歩みのマンネリ化というのは
一定の基準で歩み続けることで
マンネリ化を感じてしまうのです。
歩みの基準を上げていくことで
自分で自分に刺激を与えることができ
体験を増やすことができるのです。
今は受け身で待っている人は
体験の機会を逃してしまうのです。
主体的に歩むことで
体験を増やすことができ
体験を増やすことで
成長欲求を満たすことが
できるのです。
体験を増やすには
自分で決めることも
必要なのです。
「これをやる」と
明確に決めることで
体験を自分で増やすことができます。
自分で意図的に決めたことでも
否応なしに与えられたことでも
導かれることで与えられたことなのです。
与えられた体験を通して
学ぶことができ
実力を身につけることができ
成長することができるのです。
体験を価値視することで
体験を通して
総合的な教育ができ
総合的な教育によって
より大きな目的に貢献する歩みが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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