【自己責任があるので、努力ができる】

記事
学び


日常的スピリチュアル、安田です。

自己責任を重く感じる人がいますが
自己責任があるので
努力ができるのです。
そして、努力をすることで
成長欲求を満たすことができるのです。
自己責任は
人にしかないのです。
他の動物には責任がないので
本能のままに生きるのです。
責任がないので
努力をすることもないし
何かを目指すこともありません。
自己責任が重荷に感じるのは
成長欲求が満たされることを
感じていないからなのです。
責任だけが
与えられているように
感じているので
重荷だけを感じてしまうのです。
成長欲求を満たすには
自己責任が必要なのです。
成長欲求を満たすことは
誰もが本心基準では
願っていることなので
自己責任があることは
重荷ではないのです。
過去の時代では
自己責任が曖昧であったのですが
今の時代はハッキリしています。
管理時代は管理する人の
責任が大きかったので
ある程度のコントロールができる
仕組みをつくってきたのですが
自己責任が主張される
今の時代には
活用できない仕組みなのです。
今の時代は答えがないので
自己責任で歩むしかないのです。
自己責任で歩むことで
失敗することもありますが
私たちがする失敗というのは
大したことではありません。
たとえ、大きな負債を
抱えてしまったとしても
大したことではないのです。
自己責任で歩むというのは
直感的に歩むことでもあるので
失敗することがあります。
直感が教えてくれることは
必要なことなので
直感の通りに歩むことで
失敗体験をすることがあります。
私たちの成長段階に合わせたことを
教えてくれるのが直感なのです。
全てがスムーズに行くことを
教えてくれないので
直感的に歩むことも
簡単ではないのです。
何かを成功させることができれば
「直感的に歩んだ」と言っても
通じるのですが
失敗しながら
「直感的に歩んだ」と言っても
通じないのです。
自己責任の全うというのは
最善を尽くすことをいいます。
最善を尽くしても
全てのことがスムーズに
成功することはありません。
成功の確率というのは
良くて10パーセントで
大抵は1パーセント以下なのです。
というと
希望が感じられなく
なってしまうのですが
成功の確率は低いのですが
成長の確率は高いのです。
失敗しても成長ができるし
成功しても成長ができるのです。
ある意味
成長確率は100パーセント
ということです。
私たちは成功することだけを
願ってしまうのですが
成功は成長の延長線上にあるのです。
成功は結果で
把握することができ
成長は感じることで
把握することができます。
結果のコントロールは
できないのですが
成長欲求を満たす努力は
自分次第なのです。
自己責任というのは
良くも悪くも
逃れることができません。
運命ではなく
宿命として与えられているので
逃れることができないのです。
運命は運ぶことができるので
時と場合によっては
逃れることができるのですが
宿命だけは
逃れられないのです。
私たちにできることは
自己責任を全うすることだけなのです。
他の人の責任を
全うすることはできないので
自己責任を全うすることだけを
考えていればいいのです。
成長の観点から見たら
自己責任が与えられていることが
福の中の福なのですが
成長欲求を満たす
意識ができないと
重荷だけを感じてしまうのです。
自己責任を全うする
努力をしていくことで
成長欲求を満たすことができ
自然により大きな目的に貢献する
貢献欲求を満たしたくなります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す