【教育の責任性】

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日常的スピリチュアル、安田です。

教育は先駆けて知った人に
責任があります。
知らないことは
教育しようがないのですが
知っていることは
教育することができるのです。
知っていることを教える責任は
誰にでもあります。
教育する使命は
誰にでもあるのです。
この使命を放棄する人が多いので
教育が拡大されていかないのです。
「自分は教える立場ではない」と
教えることを拒む人が多いのですが
知ったことは教えないといけないのです。
知ったことを
自分だけに留めてしまうと
先駆けて知ったことの責任を
全うすることができません。
責任というと
重荷に感じるのですが
責任があるので
成長することができるのです。
教育の責任性を悟ることで
全体目的の意識ができ
個体目的の責任を
全うすることができます。
全体目的というのは
自分次元を越えた
意識のことをいいます。
私たちは自分次元の意識では
視野が狭くなってしまうのですが
全体目的の意識によって
視野を限りなく大きくできます。
教育の拡大というのは
全体目的に貢献することであるので
自分次元の意識で
教育することを
拒んではいけないのです。
いつの時代でも
教育する人が少ないのです。
教育できる人が
少ないのではなく
教育する人が少ないことが
課題なのです。
過去の時代は
教育する環境を整えるのが
簡単ではなかったのですが
今の時代は
誰でも情報発信ができるので
誰でも簡単に教育ができるのです。
なので、現代人の使命は
教育を拡大する使命が
あるということです。
教育というのは
どんな形でもできるのです。
教える技能は
教えることで
身についていくのです。
どんなに多くのことを
知っていたとしても
教えていかなければ
技能は身についていきません。
教育を自分次元で考えてしまうと
拡大する意識ができなくなるので
全体目的の意識が必要なのです。
教育の責任は誰にでもあり
「知っていることを教える」
というのは、ごく自然なことなのです。
そして、教えることで
本当の意味での理解が
できるようになります。
何を学ぶにしても
教える前提で学ぶことで
深く、濃く学ぶことができ
気づき、悟りを得ることができます。
教育の目的は
気づきや悟りを得て
できないこと
できそうもないことが
できるようになることが
目的なのです。
単に多くのことを
知ることだけが
目的ではないのです。
教育のための教育ではなく
より深く気づき
悟りを得るための
教育にするには
教えていく実践が
必要なのです。
教えられることは
知っていることであり
気づき、悟っていることを
教えることができます。
教え続けることで
より深く気づくことができ
悟ることができるので
より深く気づいたこと
悟ったことを
教えることができる
好循環ができます。
教育を自分の中で
拡大させていくことで
教育を拡大させていく
影響を与えることができます。
これからより
教育が重要になっていきます。
ありとあらゆる分野の
基準が上がっているので
教育が価値視されていきます。
教育できる人が
増えていくことで
教育を拡大させることができ
今の時代の波動に合った
歩みができるのです。
自分次元で考えるのではなく
より大きな目的
全体目的の次元で考えてください。
私たちには、教育できる人を
増やしていく使命もあるので
より大きな次元の視野での
教育の意識が必要なのです。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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