【教育とはパクられること】

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日常的スピリチュアル、安田です。

教育というのは
パクり、パクられることで
拡大されていくのです。
パクる人は多いのですが
パクられる人が少ないので
教育が拡大されてこなかったのです。
つまり
教わろうとする人は多いのですが
教える人が少ないので
教育が拡大されていないのです。
教えることでパクられて
パクったことを
自分の気づき、悟りにして
気づき、悟りを
教えていくことで
教育が拡大されていくのです。
簡単に言えば
インプットとアウトプットの両輪によって
教育の拡大に貢献することが
できるようになるのです。
教育を拡大させていくことで
より発展していくのです。
今の時代では
教育は当たり前に
なされているのですが
歴史的には
教育されていない人の方が
圧倒的に多かったのです。
文字が読めない
書けないという基準の人が
多かったので
教育を拡大させることが
できなかったのです。
今の時代でも
教育されていない人がいますが
いずれ、教育は平準化されて
誰もが平等に学ぶことが
できるようになります。
これからの教育というのは
単に知識を教えるという
教育ではなく
気づいたこと
悟ったことを教える教育が
価値視されていきます。
同じことを同じように教えるという
誰でもできるマニュアル的な教育ではなく
気づきや悟りを教えることで
教育が拡大されていくのです。
気づきや悟りを教えていくには
言語化が必要なのです。
「感じているけど言語化できない」
となると、教育ができないのです。
あるいは
気づけるように、悟れるように
教育することが求められています。
時代が進むことで
求められて来ることの
基準が上がっていくので
教育する側の基準も
上げていかないといけないのです。
となると
より教育するのが
難しく感じるのですが
教育は経験を積み重ねることで
身につけることができるのです。
今の時代は
誰でもアウトプットができる
環境ができているので
いくらでも教育の経験を
積み重ねることができます。
どんな形でも
教えることができる
環境が整っています。
なので
教育の拡大ができる
時代になったのです。
いつの時代でも
教える人が少ないのですが
教える人が増えていかないと
教育の拡大ができないのです。
教育というのは
資格ですることではありません。
資格がないとできない教育もありますが
特殊な教育、超専門的な教育でなければ
資格は必要ないのです。
資格があるから
教える技能が
身についているとは
限らないのです。
全く資格がなくても
常に教えている人は
教える技能が身についているのです。
先駆けて知ったこと
気づいたこと
悟ったことというのは
教える使命があります。
自分だけに留めてしまうと
使命を全うすることが
できなくなってしまうのです。
何を先駆けて知っていて
気づいていて
悟っているのかは
分からないのですが
大抵の人は
ほとんど学んでいないので
知っていること
気づいていること
悟っていることは
少ないのです。
なので、何でもいいので
教えていけばいいのです。
最初は漠然と教えていても
教え続けることで
自分の使命を悟ることができ
教えることを
定着させることが
できるようになります。
教えることで
自分が何を知っていて
何に気づいていて
何を悟っているのかを
把握することができます。
ありとあらゆる分野の
教育が求められているので
教育の拡大が必要なのです。
総合的に教育を拡大させることで
今の時代の波動に合わせる歩みが
できるようになるのです。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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