【感覚的に学ぶ】

記事
学び


日常的スピリチュアル、安田です。

感覚的に学ぶというと
適当に学ぶような
感じがしますが
感じる境地で学ぶ
ということです。
感じる境地で学ぶことで
深く学ぶことができるのです。
深い境地で学ぶことができれば
暗記以上の記憶ができるのです。
学びというのは
元々知っていることを
思い出す感覚でもあるのです。
元々知っているのですが
知っていても言語化ができないと
認識ができないので
学びが必要なのです。
記憶だけに頼るとなると
限界を感じますが
元々知っていることであれば
無限に掘り起こすことが
できるということです。
ただ、感覚的に学ぶ
深い境地で学ぶことは
できるときもあれば
できないときもあります。
集中することができれば
深く、濃く学ぶことができますが
集中ができないときは
感覚的な学びはできないのです。
感覚的に学ぶためには
常に学び続けることで
学びの感覚が身についていきます。
学び続けるという
シンプルなことなのですが
このシンプルなことが
できている人は少ないのです。
効果的な学び
効率的な学びが
開発されてはいるのですが
学びだけが
効果的、効率的になっても
意味がないのです。
暗記教育の場合は
テクニック的なことが
必要なのですが
私たちには
試験も、テストもないので
テクニック的に
学ばなくてもいいのです。
感覚的に学び続けて
濃く、深く学ぶことが
必要なのであって
テクニック的に学ぶことが
目的ではないのです。
多くのことを知ることで
有利になることはありますが
知っている境地が浅ければ
活かすことはできません。
学びにはマイペースが
必要なのです。
マイペースを守ることで
学び続けることができるし
濃く、深く学ぶことができるのです。
感覚的に学ぶことで
深い境地で覚えていることを
掘り起こすことができるのです。
時代が進むことで
深い境地、感覚的なこと
感じている境地が
価値視されるようになり
求められるようになります。
表面的な教育ではなく
霊的な境地が求められるので
霊的指導力が必要なのです。
霊的指導が
できるようになるには
深い境地、感覚
感じている境地からの
指導が必要なのです。
心霊基準が上がることで
表面的な指導が
通用しなくなってきます。
指導ができることは
自分ができていることなのです。
自分ができていないことを
指導しようとしてもできないのです。
評論家というのは
自分ができていないことを
割り切って教えられる人なのです。
割り切れない人、正直な人は
評論家にはなれないのです。
過去の時代は
知識、情報が少なかったので
知っていることが多ければ
評論家には成れたのですが
今の時代は
知っていることが多いことが
価値視されないのです。
なぜなら
暗記する必要がないからです。
今の時代で求められているのは
暗記したことを教えることではなく
感じられる境地が求められています。
霊的な指導ができれば
感じさせることができ
導くことができるのです。
導くというのは
実行ができるように
導くということです。
義務、強制、脅しで
導くのではなく
実行したくなるように
導くということです。
ある意味
過去の指導よりも
面倒になったのです。
過去の時代は
単純に「やれ、やれ」と
強引的な指導ができたのですが
今は強引的ではなく
主体的にできるように導く
指導が求められています。
霊的指導が面倒に感じるのは
過去の時代の指導が
単純であったからです。
感覚的に学ぶことで
感覚的な指導ができ
霊的指導ができるようになります。
霊的指導によって
主体的に歩めるように
導くことができ
教育を発展
拡大させることが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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