【自己犠牲の土台に必要なこと】

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日常的スピリチュアル、安田です。

自己犠牲は
完全に悪いことではなく
時として必要な場合もあります。
より大きな目的のために
自分を犠牲にすることで
大きなことを成すこともできるのです。
使命の全うのためには
自己犠牲が必要な場合もあります。
やりたくないこと
居心地が悪い場所
感じたくない感情というのは
自己犠牲でもあるのです。
自己犠牲というのは
より大きな目的のために
犠牲になるということです。
自分次元のためには
自己犠牲になることは
できないのです。
自己犠牲をしてまで
実現したいことというのは
より大きな目的でなければ
歩む原動力が出てこないのです。
自己犠牲の歩みをするには
土台が必要なのです。
生みの苦しみを
感じる境地なので
生みの苦しみを越えられる
土台がなければ
自己犠牲が
恨みになってしまうのです。
自己犠牲の土台になるのが
心霊が満たされている状態なのです。
生みの苦しみ以上に
心霊が満たされていれば
自己犠牲が惜しくないのです。
心霊が満たされていれば
喜んで自己犠牲が
できるようになるので
傍から見たら
かなり怪しく見えるのですが
心霊が満たされている人は
自己犠牲の感覚がないのです。
歴史に名を残した人というのは
自己犠牲の歩みをしてきたのです。
それこそ
自分の代では実らなくて
ひたすら自己犠牲の歩みを
続けてきたのです。
結果が実らなくても
歩み続けるというのは
簡単ではないのですが
心霊が満たされていたので
歩み続けることができたのです。
過去の時代の環境と
今の時代の環境は
全く違うのですが
人の精神的な面は
大して変わらないのです。
今の時代の自己犠牲というのは
やりたいことよりも
使命を優先させることなのです。
やりたいことがなく
使命だけを悟っている人は
歩む出発の自己犠牲はありませんが
使命を全うするために
与えられた環境の中で
自己犠牲を感じるようになります。
多くの人は
完全完璧の環境があると
思っていますが
どんな環境であったとしても
完全完璧な環境はありません。
居心地の悪さ
歩みにくさ
生みの苦しみ
感じたくない感情という
自己犠牲はどうしても
必要なのです。
中には好き勝手に
歩んでいるような
人もいますが
内心は葛藤していたり
不安や恐怖を感じているのです。
他の人の感じている境地は
分かりようがないのですが
人が感じている境地には
大差はないのです。
感じたままに
歩んでしまうと
ヤル気が出るときは
歩むことができますが
ヤル気が出ないときは
歩めなくなるのです。
どんな人でも
一定の感情を保つことは
できないのです。
感情は朝夕に変わりやすいので
感情に振り回されてしまうと
歩み続けることができなくなります。
ヤル気が出なくても
歩むというのも
自己犠牲なのです。
ヤル気が出なくても
心霊が満たされていれば
歩むことができるのです。
心霊の満たしというのは
他の人が満たしてくれるのではなく
成長欲求を満たすことで
心霊が満たされるのです。
基本的な努力を続けることで
心霊を満たし続けることができ
自己犠牲の土台をつくることができます。
心霊の満たしが
歩みの原動力になり
自己犠牲の歩みが
できるのです。
基本的な努力である
学ぶこと、実行すること
瞑想、運動を続けることで
心霊を満たすことができ
自己犠牲の歩みができる
原動力の土台を
つくることができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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