【情報発信の動機】

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日常的スピリチュアル、安田です。

誰でも情報発信が
できる時代になることで
効率よく教えることが
できるようになりました。
ただ、情報発信を
している人は少ないし
何を発信したらいいのかが
分からない人が多いのです。
「自分には教えられることがない」と
思い込んでしまうと
情報発信のハードルが
高くなってしまうのですが
教えられることは
誰にでもあるのです。
今まで学んできたこと
経験、体験してきたことを
教えていけばいいのです。
人それぞれで
学んできたことが違い
経験、体験してきたことが違うので
教えられることは
いくらでもあるのです。
「自分が学んできたこと
 経験、体験してきたことは
 大したことはない」と
考えてしまう人がいますが
大したことではないので
貴重なのです。
なぜなら、現実の中で
活かすことができるからです。
情報発信の動機というのは
知っていることを
自慢することではなく
気づき、悟り、快楽を
与えるためであるのです。
同じようなことを学んでも
気づけないことがあり
悟れないことがあり
快楽を感じられない場合があります。
結論的には同じことでも
教える角度の違いによって
気づきや悟りが与えられ
快楽を与えることができるのです。
場合によっては
勘違いされることで
批判されることもありますが
情報発信に正解も
不正解もありません。
自分の自慢のための情報発信では
続けることはできませんが
気づき、悟り、快楽を与える動機であれば
いつまでも続けることができます。
動機を正す意識をしながら
与えることを意識することで
いくらでも情報発信ができるのです。
与えるというのは
投入することであり
投入することで
真空がつくられます。
それこそ知っていることを
全て出すことができれば
大きな真空ができ
その真空は必ず埋まるのです。
情報発信が続けられる人は
与える体質、投入する体質になっているので
無意識に与えようとしてしまい
投入しようとしてしまうのです。
情報発信を続けていくことで
与える、投入する体質になってしまい
自分が気づいたこと、悟ったことを
発信することができるのです。
今や知識は、いくらでも
知ることができる時代なので
気づきや悟りが求められています。
学んだことを
そのまま教えるだけではなく
どう感じたかを教えることで
気づきや悟りが与えられるのです。
というと
より難しく感じる人もいますが
自分が感じている境地を
言語化できればいいのです。
感じている境地を
把握することで
言語化することができ
言語化することで
気づきや悟りを与えることができ
快楽を感じさせることができます。
情報発信は
毎日、コツコツと
続けていくしかないのです。
教える技能を
身につけていくためには
教え続けるしかないのです。
誰でも情報発信が
できる時代になっているので
誰でも教える技能を
身につけることができるのです。
いつの時代でも
教えられる人が
不足しています。
専門的な人は
難しく教えるのですが
難しく教えられても
理解ができなければ
意味がないのです。
教えるセンスは
人それぞれで違うので
自分のセンスで
教えることができるのです。
最初は他の誰かの
真似をしてもいいのですが
真似ができる人の
真似しかできません。
他の誰かになろうとするのではなく
自分の個性を活かしていくことで
自分のセンスの通りに
教えることができます。
教え方には
正解も、不正解もないので
教えられるように
教えていけばいいのです。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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