【楽しく感じることで個性発揮ができる】

記事
学び


日常的スピリチュアル、安田です。

楽しさを感じることは
誰でも求めているのですが
楽しさを感じることで
個性の発揮ができるのです。
楽しさを感じるために
楽しいことを求めていくのですが
楽しいことというのは
遊びだけではないのです。
何をしていても
楽しさを感じることができれば
常に楽しい状態でいることができます。
楽しさには
「これをやったら楽しめる」
という定義はありません。
人それぞれで
感じている境地が違うので
何に楽しさを感じるのかに
違いがあるのです。
理想的な歩みというのは
何をしていても
楽しむことなのですが
多くの人は
楽しめることと
楽しめないことを
無意識に分けています。
今の時代は
仕事と遊びと学びが
一致する歩みが
求められています。
何をしても
仕事になり、遊びになり
学びになるということです。
なので、何をしていても
楽しむことができるのです。
「楽しむ」というのは
感じることなのです。
「楽しまないといけない」という
義務、強制ではないのです。
何をするにしても
楽しむためには
楽しく感じられる工夫が
必要なのです。
努力が続けられる人というのは
何らかの楽しみを感じています。
いくら習慣の力を身につけても
苦痛を感じながらの努力では
続けることはできないのです。
努力を続けている人を
尊敬の眼差しで見る人がいますが
努力によって成長欲求が
満たされているので
努力を続けることができるのです。
今の時代には
義務や強制は
通用しないので
楽しさを感じられる
工夫が必要なのです。
基本的な努力をすることは
今までの時代と同じなのですが
義務や強制で努力をしてはいけないのです。
学ぶことにしても
実行するにしても
瞑想、運動をするにしても
楽しさを感じることで
自然に続けることができるのです。
楽しさを感じるためには
ゲーム感覚で歩むことと
未来に向かって歩むことで
楽しさを感じることができます。
自分次元の目的では
楽しめる限界があるのです。
より大きな目的のために歩むことで
「やりがい」を感じることができ
ゲーム感覚で未来に向かう歩みが
できるようになります。
楽しむ歩みができれば
自然に個性の発揮が
できるようになります。
個性の発揮には
工夫が必要なのですが
根底に必要なのは
楽しみを感じることなのです。
楽しみというのは
誰も何も与えてくれません。
受け身でいる人は
楽しみが与えられることを
漠然と待っているのですが
楽しみは待っているのではなく
自分から主体的につくれるのです。
楽しさを感じられないのは
受け身でいるからなのです。
主体的に歩み
努力することができれば
自然に楽しさを
感じることができるのです。
これからの時代は
個性を発揮することが
求められるので
良い意味での
「楽しさを感じないといけない」
という、義務、強制が必要なのです。
個性の発揮ができることが
才能、能力の発揮になり
使命の全うになるのです。
時代の恩恵によって
個性の発揮ができるようになり
個性の発揮によって
より大きな目的のために
歩めるようになるのです。
今の成熟時代で
やるべきことは
個性の発揮でもあるのです。
ある特定の人だけが
個性を発揮するのではなく
一人一人が個性を発揮し
究極的には全ての人が
個性の発揮ができるようになるのです。
誰もが個性の発揮が
できるようになれば
自然に調和が成されていき
発展するしかない
時代になっていくのです。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す