【小説】たんぽぽカクテル

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ポートフォリオがないなと思っていたので、前に書いた小説を投稿します。


いつの間にか、バーカウンターの椅子に座り込んでいたらしい。目の前には黄色いカクテルが置かれている。
「あの、すみません。私、これ注文しました?」
バカな質問だと思いながらも、バーテンダーに声をかける。どうせ、ラウンジで踊るうちに酔いが回って、無意識に休みに来たのだろう。そのくせ、もっとハイになりたくて、カクテルを追加注文。間の記憶は飛んでいる。疲れた夜に踊りに来ると、時々あることだ。
と思ったのに、バーテンダーの答えは少しだけ予想と違っていた。
「いいえ。お客さん、何も注文せずに目をつぶってましたよ。そのカクテルはサービスです」
変な顔をした私に、バーテンダーが「ノンアルコールですので、ご安心ください」とつけ加える。まあいいか。引き寄せたグラスを見ると、たんぽぽの花が浮かんでいた。またしても変な顔になる私。よく見ると、カクテルの底のほうは黄緑色だ。カクテルにしてはくすんだ、野原そっくりの色。もちろん、その上の黄色も人工的なものじゃない。ギラギラしたクラブの光の中で、グラスの中だけが異質だった。
「どういうカクテルなんですか、これ」
「私のオリジナルなので、材料は内緒です。疲れている人にだけお出ししています」
「ふーん」
口をつけると、優しい味が広がった。と言っても甘いわけじゃない。ほのかな苦みとさわやかな香りが口の中を通り過ぎる。春風が吹いたような味は、やっぱり、都会のダンスフロアにはふさわしくなかった。
「なんでこんなの作ったんですか」
「お気に召しませんでしたか」
「いや、おいしいんですよ。おいしいけど、クラブっぽくないじゃないですか。なんか、田舎の野原でひなたぼっこー、みたいな。あ、田舎ってのも、悪い意味じゃなくて」
「ありがとうございます。まさに、田舎の野原をイメージして作ったんです」
バーテンダーが、ふっと口元をゆるめる。
「お客さん、ずいぶん疲れている感じがしたので。目をつぶっている間、ずっと歯を食いしばってましたよ。パソコンを使う姿勢が染みついているようにも見えますし……そのブラウスと靴も、仕事のものでしょう?」
「やっぱり、わかりますか」
おとといは徹夜、昨日も3時間しか寝ていない。今日のプレゼンのため、必死で資料を作っていたからだ。突然振られた別の仕事が断れず、時間が足りなくなったのも大きい。そもそも、重要な仕事を任せられることが増えてきて、ここ半年は気を張ってばかりだ。自分にご褒美をあげるなら、ダンスとお酒より、睡眠のほうがよかったかもしれない。
「たまにはゆったりした時間を取ってほしくて、野原でのんびりするようなカクテルを作りました。こんなうるさい場所にはいないほうがいいです」
「お店の人が、それ言います?」
「確かに、変ですね」
少し笑って、バーテンダーが続ける。
「お客さん、初めて来たのがこのクラブだったでしょう。確か、2年くらい前」
「げっ。なんで知ってるんですか」
「人の顔を覚えるのは得意なんです。初めてだとか、都会にはこんな場所がとかって言いながらお酒を飲んでましたよね。お友達と3人で。カルーアミルクだったかな」
「あー、確かそうでした。あのときのバーテンダーさんだったんですね」
「そのときのあなたも、こんな感じでしたよ。いい意味で田舎っぽくて、都会の無機質さに染まっていないというか」
2年前を思い返す。あの頃の私。それこそどこにでもたんぽぽが咲いているような、小さな町の出身。都会に出てきて半年過ぎて、大学時代からこっちにいた友達に珍しく誘われて、初めてここに来たんだった。どんな服でいけばいいかわからなくて、浮いてないかずっと心配してたっけ。
「あの頃に戻ってみてはどうですか。あなたにこの場所は合っていない気がするんです」
バーテンダーの声が、妙にはっきり響く。
「なんなら、どこか小さな町に住むようにしたほうが」
「ありがとうございます」
疲れた頭を持ち上げて、私はバーテンダーの目をまっすぐ見つめた。
「でも、大丈夫です」
「え」
今度は、私が小さく笑った。
「そりゃ私も、何度も考えましたよ。こんなに疲れる仕事向いてないんじゃないか、実家の近くに戻ろうかって。でも、なんだかんだ好きなんです。今の仕事が」
「そう……ですか」
「田舎に帰ったとしても、また似たような仕事をやると思いますし。それに、都会にも、だんだん馴染んできたんです。こうやって、一人でクラブにも来るようになったでしょう?」
「無理してではなく?」
「あの頃の私に一人で来いって言ったら、めちゃくちゃ無理させることになると思いますけどね。今は、全然無理じゃないです。好きで来てます。私らしさが、今と昔で変わってきてるというか」
「……そうでしたか。失礼しました」
バーテンダーが、困ったように笑った。私もつられて笑う。
「お節介を焼いてしまいましたね」
「いいんです。たんぽぽもカクテルも、私には大事な景色ですから」
グラスを持ち上げる。どこか懐かしい香りがした。
「心配してくれて、ありがとうございました。少し休んでからフロアに戻ります」
「ぜひ、そうしてください。今夜は早めに切り上げて、しっかり睡眠も取ってくださいね」
「お母さんみたいなこと言わないでください。ありがたいですけど」
やっぱりここは、大事な居場所になりつつある。

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