小説推敲のポイントについて

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こんにちは、もしくははじめまして、香露茶と申します。
いにしえの同人の香りを感じなくもない挨拶で初めてみましたが、ブログとか書くの10年振りでもう勝手が解りませんね……。
せっかくブログ機能があるので、今回は表題の件について書いていこうと思います。
「今修羅場だから推敲のポイントだけ知りたいんじゃい」という方は目次の「●推敲のポイント」からどうぞ。




●そもそも推敲とは?

文章を書く皆さんは最早息をするように使っている「推敲」という言葉、辞書で引くと下記のような説明が出てきます。故事成語なんですね、初めて知りました……。
詩文の字句や文章を十分に吟味して練りなおすこと。(goo国語辞書)
文章の純粋な誤りを修正する「校正」とは違い、書き手の思い描く内容に近づくよう、よりよいものになるよう、表現や展開を含めて手を入れることを指します。
その過程で必然的に誤字脱字や、不自然な文脈を見つけることは往々にしてありますので、推敲と校正は一部が重なった円同士とも言えます。




●推敲と校正・そして校閲

推敲と校正についてはお話しましたが、では校閲とは何でしょうか。ニュアンスの違いは解るけど説明するとなると難しい、という方もいらっしゃるかもしれません。
前述の通り、校正が文法上の誤りを覗く作業を指すのに対して、「校閲」は文章そのものの意味に誤り・矛盾がないかをチェックする作業です。
簡単な例文を挙げてみましょう。

例)彼の表情のなさと言ったら鉄面皮という言葉は彼のだめにあるようで。

1.校正:
彼の表情のなさと言ったら鉄面皮という言葉は彼のだ【た】めにあるようで【だ】

2.校正後の校閲:
彼の表情のなさと言ったら鉄面皮【鉄面皮という言葉は厚かましい・恥知らずという意味の語であり、この場面にはふさわしくない】という言葉は彼のためにあるようだ。

3.校閲を受けての推敲
彼の表情のなさと言ったら、喜怒哀楽を母の腹に置いてきたのかと思うほどだ。

※解りやすく順番をつけているだけで、このようにせよということではありません。実際には3から起こって12の必要がなくなることも勿論あります。

過去に校正サービスをご依頼頂いた方はお気付きかもしれませんが、私の校正は校正と言いつつ、一部校閲も含んでいます。これは長年物書きをやってきた中で、勘違いしたまま使っていた単語や言い回しが少なからずあり、せめて同じ轍を踏む方が少しでも減りますように……という老婆心からです。共感性羞恥によるおせっかいとも言います。




●推敲のポイント

やや脱線してしまいましたが、本題の推敲のポイントについて触れてゆきましょう。
つまり「文法的にも文章的にも間違ってはいないが、手を加えるとよりよくなりそうな箇所」の探し方です。


1.単語が近距離で重複していないか
意識して強調したい場合などは別ですが、同じ単語や言い回しが連続するのはぎこちなく幼い印象を受けます。(極端な例だと小さい子が××はね、××がね、と繰り返すあれです)
名詞の場合は彼/あれ/そこ など一旦代名詞を挟むのがシンプルかつお手軽です。
動詞や形容詞の場合は類語辞典のお力を借りましょう。また普通の辞典に加えて、連想類語辞典もおすすめです。


2.句読点が少なすぎ/多すぎないか
自分ではどこで区切るか解っているが、情報整理の目印が少なすぎて読み手のスタミナ力が試されてしまうパターン。句点が多すぎるよりも、少なすぎる方の方が圧倒的に多い感触です。
伝えたい情報を詰めこむと陥ってしまいがちです。どこで句点を打つ、というルールはありませんが、気になった場合は該当箇所を音読してみてください。息をつきたくなったところが適切な区切れかと思います。


3.一文が長すぎないか
2と併発しがちです。

例:夏には鬱蒼と茂っていたであろう森も今は長い眠りについており、忘れ去られたような風情の中には寂しげな冬鳥ばかりが映え、曇天に飛び去る彼らを見つめる狩人の手には父から譲られた旧式のライフルが冷たくまた重く存在を主張するばかりだった。

イメージがひとつながりになっていると、文もひとつながりになってしまうことがあります。映画で言えば長回しの場面でしょうか。
ただ文末が遠すぎると、2と同じように読み手がスタミナ切れを起こして力尽きてしまいます。場面の転換や動作主が切り替わったところで、適切に文章を区切りましょう。上の文なら私は「映え」で一文とし、ついでに「手には」と「重く」の直後に句点を置きます。(※一例でこれが正解ということではありません)
また、どうしても削れない、余分なところがないという長文でしたら、前後の文を短めにしてメリハリをつけましょう。文章と音は切っても切れないもの、長短の波をつけることでリズムも生まれます。


4.修飾節が長すぎないか
3と併発しがちです。ということは2・3・4は割と近しい落とし穴なんですね。
文末ばかりでなく、形容されている対象までの道のりが長いのも読み手がついていききれない要因になります。

例:遥かな昔東方より伝えられた青薔薇と雲雀とが繊細な筆致で描かれた優美な持ち手のある青磁の花瓶がその家の家宝だった。

対象である「花瓶」までが遠すぎます。
情報を削るか、整えて二文に分けるかしましょう。


5.文の結びの形が揃いすぎていないか
既に起こったことを書いているとしても、文末が全て「~だった」では据わりが悪くなります。
過去を表すなら「~していた」「~した」、現在も変わらない事柄なら断定の「だ」「である」、その時その瞬間の思考を書いているなら「考える」「思う」など現在の結びでも不自然ではありません。




●まとめ

いかがだったでしょうか。
創作活動に十分な時間を確保できる方はさほど多くはないと思いますが、脱稿後にでも、この記事を思い出して頂ければと思います。
それでは、今回はここまで。
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