共に育つ

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育児ってなんだろか、とこの前ふと思いました。

ありがちですが、子供たちが小さい頃は上手く旦那様を教育できず、完全にワンオペで3人を育てていたので余裕がなかったのもあるのですが

そうじゃなくても全て完璧な育児なんて存在しないわけで。

例えば『食育』という言葉が流行ったけど、楽しく食べ物に感謝していただく、と嫌いなものも残さず食べる、というのはなかなか両立が難しかったりして。

「好き嫌いなく」を実践しようとして「残しちゃだめ!」という躾にこだわると、みんなで楽しく食べることの大切さを見失ってしまう。

あっちをとればこっちを失う、というのは人生の常なのかでしょうか。

私はそもそもいい加減な性格なので、ピーマンが食べられないなら人参でカロテン摂ったらいいよね?食物繊維だって別にワカメでもいいよね?

って感じなのでギスギスしながら嫌いな食べ物を出す、ということはしないタイプ。

でも色んな食材を知って感謝することを教えたいなら出す、という選択肢もありなわけで、会社でもきちんと残さず食べる若い子を見かけると、えらいなあ、お母さんがちゃんと教育したんだな、と感心します。

あらゆる物事は見る角度によって大きく変わってくる。
こうしたらああなる、なんて法則があれば楽でいいけど、そういうものでもない。SNSで誰かの行動に対する一方的な批難のコトバを見かけると、この人はそれを人に言うほど迷いのない人生を送っているのだろうか、と思うのです。

生きることってただでさえ過酷なのだから、別に完璧でなくていいよ!ってもっともっと大きな心で受け止めてあげられる世の中であればいいな、っていつも思います。

育児に関して言えば、育児本に頼ろうが、そんなものには目もくれなかろうが、条件なく子供を愛す、という根底がぶれなきゃいいんじゃないかな、と信念がぐらつきそうになるたびに自分に言い聞かせてきました。

この条件なく、というのが私にとっては重要なことで。

親の言うことを聞く子だからいい子だね、とか親の思惑通りの動きをするから愛してあげるよ、とかそういうのを出来るだけ排除したくて

この20年弱、今子供に抱いているこの感情は本当に純粋に子供のため?実は自分を満たしたいための欲望じゃない?って自分に問いかける作業をずっと繰り返してきた気がします。

だから「育児」っていう言葉は不思議だなって思います。

だってうちの場合は明らかに子供たちが私をお母さんとして育ててくれている(笑)子供たちは共に迷いながら生きてきた同志のような感じ。

持続が苦手な私が唯一飽きずに続けているのがお母さん業なんだから、子供のパワーってなんてすごいんだろう、と驚くばかりです。

親の子供への愛は偉大だというけれど、本当に掛け値なく親を愛してくれるのは子供の方じゃなかろうか。


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