風水超入門(2)~「陰宅」(いんたく)について~

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〇陰宅(いんたく)
前回は「巒頭」(らんとう)「理気」(りき)について
基本的な考え方をお伝えしました。
今回は「陽宅」(ようたく)「陰宅」(いんたく)の内、
「陰宅」について説明します。
簡単に言うと、
「陽宅」(ようたく)は「生きている人の住まい」。つまり住居の事。
「陰宅」(いんたく)は「死んでいる人の住まい」。つまりお墓の事。
「陽宅」は住んでいる人の健康や財運などに関わり、
「陰宅」はお墓の埋葬されている人の子孫に影響が出ます。
やはり「陽宅」の方が、生きている人の住まいなので、
必然的に高い関心を得ていると思います。
また、「陰宅」は昔では「土葬」であり、
特に現代の日本では認められておりません。
従って、骨壺に納められた故人のお骨が
「陰宅」に納められるメインの要素になります。
ですから、人によっては効果がない、と言う人もいますし、
たとえお骨でも効果がある、と言う人もいます。
そして「陰宅」は影響が大きい為、間違った風水を施してしまうと、
その子孫の家がダメージを負う可能性があり、
軽々しく使うのは難しいとされています。
また、基本的には子孫への影響の為、長い目で考えないといけない要素です。
このように考えると、太古の人々は、いかにご先祖様の住まう場所に
気を遣っていたのか、という事がわかるでしょう。

〇丘延翰(きゅうえんかん)の伝説
唐の玄宗皇帝の時代、皇帝の宮中に「風水の秘術」をもたらしたとされるのが
「丘延翰」(きゅうえんかん)という人物です。
説によると、山中で道に迷い、ある洞窟に辿り着いた時に、
そこで仙人に逢い、「人々を救いなさい」と言う言葉と共に、
風水の秘術を記した秘巻を授けられ、
それによって丘延翰はその秘術を体得した、という話があります。

さてその後のある日、皇帝の住まう宮中では、
あるちょっとした事件で賑わっていました。
宮殿からその周囲について、毎日観察、監視していた部署から、

「ある方向に、紫色の煙が立ち上っている」

と報告があったのです。
この一報を耳にした玄宗皇帝は、即座に人を遣わし、
その場所を調査させました。
すると、その「紫色の煙」は、ひとつのお墓から出ていたのです。
「紫色」は「高貴な色」とされ、それこそ「皇帝」をイメージさせる色です。
玄宗皇帝をはじめ、識者たちは色めき立ちました。
つまり、そのようなお墓が存在する以上、そのお墓の子孫や縁者から、
「皇帝にまで登り詰める人間」が現れるのではないか、と。

これは玄宗皇帝にとっては許される事態ではありません。
自分の地位を脅かすような人間が現れる事、そしてそのような人物が出てくる可能性を施した人間を許すわけには行きません。
急遽、その墓を取り壊すと共に、その墓を造った(選定した)人物に対して
中国全土に指名手配がかかりました。

その事を知り、自ら出頭して来たのが丘延翰でした。
そこで、丘延翰はその罪滅ぼしに、そのようなお墓を選定した技術、
つまり、仙人に授けてもらった技術を皇帝に教えたのです。
これ以降、この風水秘術は唐王朝の秘中の秘として大事に保管され、
その時に記した丘延翰の書は「玉函経」(ぎょっかんきょう)とも呼ばれて
永らく権力者の秘法として宮中に納められる事となりました。

〇陰宅の可能性
この逸話、やはり最大のポイントは、
「子孫が皇帝にまで上り詰める可能性のあるお墓」
に尽きるのではないでしょうか。
このエピソードから、「風水」というものが王朝にとって
何故非常に大切に扱われるようになったのか、
その原因のひとつが垣間見えるのではないか、と思っています。
「陰宅風水上の理想の理論」に合致するような土地、その場所を
上手く選べた場合、

「皇帝」になれるような途方もない「権力」を持つ人物出現の可能性がある。

この事を示唆しています。
少なくとも、丘延翰のエピソードは、「陰宅」の重要性、
そのポテンシャルを表しているような気がしてならないのです。
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