「書くこと」と「書き出すこと」

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コラム
その日、感じたことや気づいたこと、思ったことをノートに記している。「書くこと」が、書いて残しておくことが必要だと思ったからだ。そして、そのメモが新しいブログ記事を生み出してきた。

ところが、どうしたことだろう。こんなシンプルな言葉にハッとさせられた。

「書くこと」と「書き出すこと」は違う。

今まで私は書いてきた。でも書き出してはいなかった。
自分の心の内を書いていた、それは間違いない。感じたことや気づいたことの感情を表す言葉を探して、声に出すように文字を綴っていた。

書き上がった文字列を眺めて、そうそうこんな気持ち、こんな色、こんな匂いと、自分で納得し読んでくれる人の受け取る感情をを想像していた。
書いたものを重視していたようだ。結果ばかり見ていた。
だから、「書き出して」いなかった。

誰が読もうと、書いた自分がどんな感情を持とうと関係ない。
書くこと自体が重要なのだ。
それが、「書き出すこと」だと思う。

「書くこと」は、書きながらいつも読み手を感じてた。
もちろん、こうしてブログに載せるわけだから、それも仕方ない。

でも、改めて「書くこと」と「書き出すこと」の意味の違いに驚いた。
「書き出すこと」とは、心の内にある思いを外に出すことだと思う。その行為だと思う。

思いは実際に手に取って身体から外に出すことは出来ない。寒い今ならなおさら出したくもない。
出したい思いの多くは、こんな心に留めておきたくない暗く重い感情だ。
なのに、どこかで手放せない、困ったものだ。負の感情なのに心の中に置いておきたくなる。

「私はこんなに大変なのよ」と、慰めの材料にしている。
だから、書いて外に出さなくてはならない。

書き出した負の思いは、言葉を見れば嫌になる。「これは自分と違う」と言いたくもなる。言い訳をする原因はいつも誰かを想像しているからなのか?あの人に読まれたらどうしようと自分を取り繕う準備を始めているのか?

それでも、書き出していこう。
毒は身体の外に出さなければいけない。
出さないと、新しい何か楽しい思いも詰め込むことが出来ない。
実は、心の面積は制限があるのだ。無制限に何もかも抱えこむことは出来ない。

ノートに書き出した嫌な文字や言葉は、破って捨ててしまえばいい。
魅力的な至極の言葉を見つけたら、赤い下線を引いてマーカーで大切に守ればいい。

実は、「書き出すこと」が大事、とは先日亡くなった神田沙也加さんがインタビューで話していた言葉だった。
私は、この「書き出す」という言葉に魅かれた。こんなシンプルな言葉にハッとした。

そして今、「書く」とは違うのだ、そう思う。
あなたにして欲しいことも、「書き出すこと」
心の中の思いを外に出すイメージで書いて欲しい。

出すこと。出せばその空間に何かを埋めたくなる。
そこに楽しい思いを詰めればいい。甘いショートケーキの姿でもいい。
それが生命力だと思う。

書き出す言葉は、思いにぴったりしたものがいい。
時間をかけて探せばいい。誰かの言葉を借りてもいいと思う。
そして書き出して、その言葉を忘れること。

書くときは、昼間の明るいときがいいかもしれない。
夜はどんどん心の内に入っていく。迷って出口を見つけられなくなる。


「書き出すこと」

これは、生きていく術(ライフスキル)のひとつだと思う。
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