自分を守るため、建てた城に閉じこもっていないだろうか?

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コラム
あれが子供のころでよかったと思う。あのころは寂しい会いたいという感情だけで、それを意味のある思考としてまとめることができなかった。だからまだマシだったのだ。あのころの寂しさや悲しさ惨めさを、しっかりとした言葉で組み立ててお城を建ててしまったら、わたしはそこに閉じこもってぬけだせなくなったかもしれない。

(「流浪の月」 凪良ゆう 著   より)

寂しい、会いたい、哀しい、惨めだ、という感情

それは、裸の弱々しい震える子どもの姿だった。そのまま何も纏わなければ、寒くて凍えて汚れるばかりだ。だから子どもから少年になるころ、自分を守る衣を得た。そうでもしないと裸の自分を守ることができなかった。

でもそれは、しっかりとした言葉で組み立ててお城を建ててしまうこと、意味のある思考としてまとめることだった。感情に意味づけしてこころを閉ざすことだった。

今は、その城から抜け出せなくなっている。積み上げた「こころのくせ」や「つくった意味づけ」に今度は縛られてる。まるで自分で建てた城から抜け出せないように。


これが悪いというわけじゃない。直せという勧めでもない。
ただいま自分がこんな状態じゃないかと、気づいて欲しい。

自分を守るため建てた城に閉じこもっていないだろうか?
悩みはただそれだけじゃないだろうか?

もしそうなら、どうしようか?
とりあえず城から抜け出す手段を考えよう。
そして城の外にひとりで出てみよう。
もう私は、裸の弱々しい震える子どもじゃないはずだ。



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