現代語訳『家相秘伝集(下巻)(天保11年)』著:松浦琴鶴 訳:左人統紳

記事
占い
1人が購入しています
user
さや子(人左綾星)
1人が購入しています

まえがき

鬼門に玄関を作らない。裏鬼門に台所を・・・と現代でも多数の人が家相を気にして間取りを考えている。ある調査によれば日本では鬼門裏鬼門を気にする人が7割いるといわれ、大半のハウスメーカーも間取り作成の際は簡易な方位盤を図示できるように対応しているという。この鬼門裏鬼門は古の中国の陰陽五行説を起源としているが、その原産地の中国では日本ほど重視しているわけではない。ちなみ陰陽五行説では、中心、鬼門である北東と裏鬼門である南西『土』に属されている。『土』は季節で言えば、土用(旧暦では季節の合間、1年に4回ある季節)で、この土用は、農耕や土工事など土に触る行為を忌避している。日本の様に四季がはっきりとしている農耕社会では、土の神「土公神」が重視され結果として、『土』の属性である、中心、鬼門、裏鬼門が家相で重視されるように発展していったのではないかと訳者は考えている。本書も中心、鬼門、裏鬼門を特に重視して書かれており、現代の日本の家相の礎や源流を知る重要な資料である。

本書の著者 松浦琴鶴 について

松浦琴鶴(マツウラキンカク)は徳川中期の易占家。大阪の人。父の名は東雞で同じ易学者。名前は純逸、号は琴鶴、観濤閣。家学を父に受け、観相をもつてその名大いに著はる。天保頃の人。(大阪人物誌より)北九州一帯で古代から勢力を保っていた松浦一族を源流に持ち、現代でも琴鶴を初代とした松浦長生館という鑑定所は存在している。
著書では『琹鶴』と『琴鶴』の名が混在しており明治21年出版の『家相秘伝書』では、上巻の著書は松浦琹鶴、下巻では松浦琴鶴と名乗られている。下巻の内容も主語が別人のような言いまわしをしているため、両者が同一人物であるかは今後も研究を要する。本書『家相秘伝書』は天保十一年序1840を初版として、6度再版が行われたベストセラー書籍と言っても過言ではない。
家相秘伝集 2冊 観濤閣蔵版 天保11年序 1840
家相秘伝集 2冊 誠之堂 明治21年
家相秘伝集 2冊 光世館 明治26年
家相秘伝集 文陽堂蔵版・岡本仙助 明27年
家相秘傳集 文陽堂蔵版、靑木嵩山堂 明治36年
家相秘伝集(全) 文陽堂 大正2年 
家相秘伝集 発売=布袋屋書店 大正9年
その他の著書についても列挙しておく。
方鑑口訣書 松浦観涛閣 天保3 1832
地理風水家相一覧 2冊 銭屋惣四郎他 天保4年 1833
地理風水家相一覧(全) 弘業舘 明治27年
方鑑辨説 天保5年 1834
方鑑辨説 全 小林米造 明17年
神殺撰要 方鑒弁説(全) 文陽堂 明治38年
方鑑類要 7冊 観涛閣蔵板 天保5年 1834
地理風水家相一覧 2冊 井筒屋・河内屋他 天保5年 1834
地理風水家相一覧(全) 弘業舘 明治40年
地理風水家相一覧(全) 弘業舘 大正2年
家相一覧・家相大全 5冊 松浦久信 井筒屋・河内屋他 天保5年 1834
三元年月本命的殺即鑑 観濤閣蔵版 銭屋惣四郎他 天保6年 1835
三元秘用方鑒図解 5冊 観寿閣蔵版 天保8年 1837
三元秘用方鑒図解 3冊 明治24年
方鑑秘伝集 2冊 河内屋他板 天保11年 1840
方鑑秘伝集 2冊 観濤閣蔵版 北畠茂兵衛 天保12年 1841
方鑑秘伝集 2冊 明治21年
方鑒秘伝集 2冊 文盛堂 明治23年
方鑒秘伝集(全) 文陽堂 大正1年
方鑑家相経験精義 全 天保13序 1842
三元九星吉方図解 明17年
増訂医道便易 明27年 
九星図説日要精義大成 乾坤揃2冊 浪華/観濤閣蔵梓 東京/北畠茂兵衛・出雲寺萬次郎ほか 明治27年
新増補正陰陽方位便覧 3冊 白井為賀先生纂輯 松浦琴鶴先生増輯 井澤駒吉 明治27年1月15日 1894
新増補正陰陽方位便覧 2冊 白井為賀纂 松浦琴鶴増輯 月窓書屋 明治33年
新増補正陰陽方位便覧(全) 白井為賀・松浦琴鶴増輯 鴨書店 昭40年

原書の扱い

家相秘伝書は上巻、下巻からなり上巻は見出し付で各項目の解説を行っている。下巻は見出しが無く内容も前半は上巻の補足。後半は図解による解説という構成になっている。同時期に出版した内容としては上下巻で構成が異なる点や内容が重複する点などその書物の成立にいささか疑問を持つ点が多く今後の研究課題である。また、上下巻の間で明らかに矛盾する点などもあるが、まえがきで述べたように日本の家相の体系や源流を知るという立場を本書では取り、重複する項目も原文のまま掲載した。また江戸時代の封建制度や男尊女卑的記述などについては当時の時代背景をなるべく崩さないように原文の意図に添って意訳をおこなった。
本書では図説は原著のままの記載を掲載している。原著の図解では方位例示や室名の記載が明らかに不足している。当時は現在とは異なり、図面の上を南にする慣例があるためこちらに図示されている方位は上が南として解釈をしている(原著になるべく手を加えないという立場から明らかに矛盾がない限り図示は行わない)。室名・方位・補足図示については本文に支障がある場合についてのみ追記を赤字(白黒印刷のため点線枠併用)で行った。

用語について

本書では、建物を建てる敷地を「建地」「宅地」「土地」、集落単位の土地を「土地」「地」と表記したり、建物を「家宅」「住居(法)」「住居」と表記したりされており表現のゆれが見られる。これについては注釈のない限り建物を建てる敷地を「土地」とし、集落単位の土地を「地域」とし、住宅も同様に注釈のない限り一般人の住む住宅「住居」と表記した。なお、その他の文言についても可能な限り統一を図っている。
また、方位も八宮(坎、艮など)や十干(甲、乙など)で表現されているが、可能な限り現在の方位(北、北東、東、南東、南、南西、西、北西)を使用した表記として一部困難な方位については原文のままとしている。

年越しの夜に翌年の恵方にあたる神社へ参拝することは誤解である理由

節分(旧暦の大晦日)の夜に翌年の歳神様へ年越し参りをすることは理屈に合わない。節分とはというのは、立春の前日であって、前の年の最終日である。よって節分の夜には、その年が無事に終わったことを慶び、その年の歳神様へお礼をするための参拝であるならば理屈にあうが、前年に翌年の歳神様への参拝をすることは理にかなわない。立春に入った翌朝、つまり新年になってからその新年の歳神様へ参詣し、その年の安全とお守りを願って礼拝する。これが正しい歳徳詣である。

歳徳様の祀り方について

 歳神様を斜めに祀るのは配慮が足らない行為である。歳は毎年、甲乙庚壬と巡るもので、世間ではそれを恵方ともいう。天の恵みを持つ方位である。十干とは、天の位置で常に動くため定位置がなく、中国の五行思想の理論に従って四方の方角を動いている。歳神棚はその歳の恵方の正面に向けて真っ直ぐ垂直に吊ることが理屈に合う。
(旧暦)正月と十二月に生れた人は本命や方位の吉凶を誤解しやすい理由
 正月生まれと十二月生まれの人は、立春節の日が近いため、生まれ年、すなわち「本命」を勘違いすることがある。方位を選ぶ際は、この点をよく確認すべきで、「方角が悪い」と察しながらもそのままにしているがために色々な災いに遭ってしまうのはこのためである。

三元本命的殺について

この続きは購入すると読めるようになります。
残り:16,265文字 / 画像38枚
現代語訳『家相秘伝集(下巻)(天保1... 記事
占い
2,500円 1人が購入しています
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す