ホピ族の動画から…

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下記の動画の中で、メッセンジャー(地元の旅先案内人)の方が、

遠いホピの土地に来てくれた日本人に対して、

感謝の意味も含め、「龍の置物」を作りお渡しする時に

おっしゃった言葉です。



「…そして、私の創造性を信じて、

あなたへの作品を作らせてくれて

本当にありがとうございます。」



これは、メッセンジャーが日本人から依頼をされたのではなく

あくまでメッセンジャーが自ら感謝の気持ちを込めて作ったものです。



このような機会があるから、作る気持ちを湧き上がらせてくれた。

そして、その経験は自分のためのものにもなるし、

他人に対して、感謝を表現させて頂ける機会にもなる。



なにかを「してあげている」ではなく、

その機会を自分に与えて下さっている。

ととらえると、また違った気持ちが込められるでしょう。



日本人(現代人)はいつしか「サービス」を当たり前のようにとらえるようになりました。

そして、そこには物質的価値観を重視するものの見方が自然と身についてしまったかもしれません。



この龍の置物には「気持ち」が入っています。



以前にもよく紹介させて頂いている「ペンキ画家のしょうーげんさん」のお話でも

よく村の人から、「その段ボールがどれほどあなたにとって必要なのか、ちゃんと伝えたのか?」とあります。



その「もの」には人が関わったとき「物語」があるはずです。

相手は、その「人の気持ち(エネルギー)」とともにものを受け取ります。



ただ、宝石を与えるのと

地球の果てまで、旅をして、欲しがっていた宝石を探して来た。

では、価値が全く異なります。



受け取った人が涙を流すとき、

物質に対して流していません。

その人の気持ちを感じて流しています。



人の精神性はそのようにして育まれていくのだと思います。



この動画の中で、「慈悲」という言葉がありました。

慈悲の中には、「悲しみ」も含まれているのです。

人を慈しむ心は「悲しみ」の経験が必要だと教えてくれているのだと思います。

自分が痛みを知らなければ、人の痛みがわかりません。



そう考えると、

今、自分に起こっていることは、本当に不幸なことなのか。

目の前の短絡的な部分だけを切り取れば、確かに気持ちが落ち込みます。



しかし、長期的な視点を持った時には、その経験が生きるときもあります。

人の優しさやいたわりを感じることもできるし

実感していれば、相手に「気持ちを込めて」伝えることもできます。



また、動画の中の違った場面では、

カチーナ「精霊」に食事を分けるシーンがあります。

日本でも、神様にお供え物として食事をお供えしますね。



この行為は、精霊への感謝の気持ちもありますが、

算命学的視点でみるとまた違った見方ができます。



算命学では、天中殺という技法があり、12年に2年間は「休息期間」があります。

シンプルにいうと、運が低迷するので、あまり活動的にならないようにという時期です。



大自然の理が「6分の1」は休みましょうと言っているのです。

つまり、何でも「自分のもの」ととらえると

必ず6分の1は天(現実社会)にお返しすることが発生するということです。



自然環境が厳しい中で生活してきた人たちは、

作物が不作であることは避けたいです。



毎年、収穫できたものを自分たちで消費すると、

いつしか、自然の理が生じて、「不作の時期」がやってきます。

それを事前に発生させているのが「お供え物」です。



最初から分けていると、その分の「負」のエネルギーを消費しているため

後から消費することがなくなります。



それが神様にお供え物をする本当の意味かと思います。

これを子どもに伝えていく時に

難しい事は話さないようになり

いつしか、形だけが残り、

食べ物を神様にお供えする

神様に食べてもらう

神様も食べたいだろうから「お供えしてあげる」というような考え方になったのではないでしょうか。



それを子どもにも間違って伝えてしまったのではないでしょうか。



形だけの教育は本物の中身が伝わりません。

教育とは「教え、育む」ものです。

1回伝えたから、教えた。ではなく、

一緒に育んでいくものかと思います。



いつしか忙しさに紛れて、

言葉だけで

「宿題やったの?」

「掃除した?」

「こうするの(が正解、あなたは間違っている)」というメッセージを子どもに与えていませんか?



ある父と息子が日曜日に自転車を修理していました。



近所の人が通りかかって見かけていました。

その人が用事を済ませて夕方帰宅してくると、まだ父と息子は自転車と格闘していました。



近所の人は、自転車屋で修理すれば早いのにと思いつつ

「何しているの?」

と声を掛けたら、

その父から

「子育てをしているのです」

と返答がありました。



自転車をただ修理するなら、自転車屋の方が早いのは分かってます。



ただ、日曜日に父と一緒になって

あーでもない、こーでもない

と言いながら自転車を通じて、親子の交流をしているのです。



このような体験が、こころを育み、情的感覚や人との繋がり、距離感などを

教えてくれます。







いつしか、「言った」だけで

教えている気になっていないでしょうか。



それが「正しい」とばかりに語気を強めていませんか。



本当の教育を受けてきましたか?



これに気づけいた時、受け入れることができた時、

世代間連鎖はとまるでしょう。



人に機会を与えてもらえるという価値観

他人の温かな行為を感じた時、その人の裏側を想像できるような情的感覚

などを教えていただけた動画でした。

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