【機胡録(水滸伝+α)制作メモ 015】索超

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※補足1:生成画像は全てDALL-E(Ver.4o)を利用している。
※補足2:メモ情報は百度百科及び中国の関連文献等を整理したものである。
※補足3:主要な固有名詞は日本訓読みと中国拼音を各箇所に当てている。

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『水滸伝(水滸伝/shuǐ hǔ zhuàn)』の概要とあらすじ:中国の明王朝の時代に編纂された、宋王朝の時代を題材とした歴史エンターテイメント物語。政治腐敗によって疲弊した社会の中で、様々な才能・良識・美徳を有する英傑たちが数奇な運命に導かれながら続々と梁山泊(りょうざんぱく/liáng shān bó:山東省西部)に結集。この集団が各地の勢力と対峙しながら、やがて宋江(そうこう/sòng jiāng)を指導者とした108名の頭目を主軸とする数万人規模の勢力へと成長。宋王朝との衝突後に招安(しょうあん/zhāo ān:罪の帳消しと王朝軍への帰属)を受けた後、国内の反乱分子や国外の異民族の制圧に繰り出す。『水滸伝』は一種の悲劇性を帯びた物語として幕を閉じる。物語が爆発的な人気を博した事から、別の作者による様々な続編も製作された。例えば、『水滸後伝(すいここうでん/shuǐ hǔ hòu zhuàn)』は梁山泊軍の生存者に焦点を当てた快刀乱麻の活劇を、『蕩寇志(とうこうし/dàng kòu zhì)』は朝廷側に焦点を当てた梁山泊軍壊滅の悲劇を描いた。
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索超(さくちょう/suǒ chāo)
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<三元論に基づく個性判定>
25番 **強い生存欲求**、**弱い知的欲求**、**とても強い存在欲求** - **「社会的な実践者」** - 社会とのつながりを重視し、実践的な活動を通じて他者に貢献する。

<概要>
言うなれば"進撃の巨人"。河北省の出身者で、七尺以上(2m以上:宋王朝時代における長さの単位については後述参照)の巨体と剛力を併せ持つ屈強な男。元々は北京大名府(現在の河北省邯鄲市大名県)の留守司正規軍の一員であった。梁山泊に英傑が結集した際は序列十九位に位置し、花栄(かえい/huā róng)、徐寧(じょねい/Xú Níng)、楊志(ようし/yáng zhì)に続く「馬軍八骠騎兼先锋使」の第四員を担った。金蘸斧(長い柄のある斧)の使い手で、身体の高さと武器の長さによって縦横無尽の斬り込みが可能。戦闘時には李逵(りき/lǐ kuí)と同じく先頭の突撃役を買って出るので「急先锋」と評された。梁山泊勢力への加入後は常に最前線で武将としての活躍を続け、最終戦となる方臘(ほうろう/fāng là)との戦いの中で殉死した。

<外見>
七尺以上(後述参照)の身長で、丸い顔に大きな耳、広い唇に方形の口、頬にはひげが生えており、威風堂々とした風貌。熟钢の獅子盔をかぶり、赤い缨をつけ、鉄の葉でできた鎧と赤い花模様の袍をまとい、金の獣面束帯を腰に巻き、前後に青铜の护心镜をつけ、をまとい斜皮気の靴を履いていた。左には弓を持ち、右には矢を吊るし、手には金蘸斧を持ち、雪白の馬に乗っていた。

<宋王朝時代の長さの単位>
『水滸伝』に登場する武器の長さや身長などは「尺(しゃく/chǐ)」によって表記されている。この作品が書かれたのは明王朝時代(14世紀頃)、この作品の舞台となったのは宋王朝時代(12世紀頃)。単純に日本に置き換えた場合、我々が明治時代の物語を書くような構造だ。文字通り、時代と共に「尺度」が変わっており、作者とされる施耐庵(したいあん/shī nài ān)がどこまで時代考証をしていたのかは不明である。宋王朝時代は一尺=約31.68cm、明王朝時代は一尺=約34cmと考えられている。

※私は索超を「巨人」として捉えているが、これは若干強引な認識手法だ。百八英傑は人物によって登場出番や掘り下げが極めて少ない者もいるので、こうした何らかのキャッチーな要素を付与しなければ人物の識別をしにくい。
※実は、梁山泊勢力において七尺以上の身長を持つ者は28名にも及び、宋江(そうこう/sòng jiāng)と双肩を成す首領の盧俊義(ろしゅんぎ/lú jùn yì)は「九尺」との表記がなされている。これを計算すると270cm以上の計算となる。中国を代表するバスケットボール選手、"巨神"の姚明(ようめい/yáo míng)が228cm、ギネスブック記録の世界最大身長が250cm程度である事を考えると、九尺(270cm以上)はかなり誇張された漫画『ワンピース』ばりの異形設定だ。『械胡録(水滸伝+α)』についてはこうした異形設定を見直す必要があると考えている。索超の七尺(210cm以上)を梁山泊勢力における最大値としたい。

<兵士採用基準>
『宋史·兵志』の文献を紐解くと、当時の一兵卒の採用基準と給与体型は身長によって決められていたらしい。その具体的事例は以下の通りだ。尚、おそらくこれは基準値であり、功績に応じた成功報酬が存在したと思われる。(給与の価値については更に後述する。)

1. 5尺2寸(約164cm):200〜300文
2. 5尺3寸(約167cm):200〜300文
3. 5尺3寸5分(約169cm):200〜300文
4. 5尺4寸(約171cm):200〜300文
5. 5尺4寸5分(約172cm):300〜400文
6. 5尺5寸(約174cm):300〜400文
7. 5尺5寸5分(約175cm):500〜700文
8. 5尺6寸(約177cm):700〜1000文
9. 5尺6寸5分(約179cm):700〜1000文
10. 5尺7寸(約180cm):700〜1000文
11. 5尺7寸5分(約182cm):700〜1000文
12. 5尺8寸(約183cm):1000文

※この内容から、宋代の成人男性の一般的な身長が165〜180cm程度であった事を把握できる。六尺(約186cm)以上の男性も存在していたらしいが、それほど多くは無かったと言われている。この基準値を鑑みれば、やはり"七尺の巨神"、索超(さくちょう/suǒ chāo)の存在感が光る。これは若干の設定改修の事項となり得るだろう。あだ名も「進巨神」など分かりやすい名称を設けた方が効果的だ。

<宋王朝時代の金銭感覚>
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※画像:Wikipedia「宋銭」より引用
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※画像:百度百科「元宝」より引用

『水滸伝』に登場する「生辰綱(奸臣の梁中書[りょうちゅうしょ/liáng zhōng shū]が民から巻き上げて集めた賄賂:晁盖[ちょうがい/cháo gài]らが強奪に成功して、後に梁山泊勢力の経営地盤の確保に貢献した財宝)」は、その価値が「十万貫に相当する」と記されている。「十万貫」とは現代の我々にとってどれほどの価値があるだろうか。宋王朝時代の金銭価値には金や米を基準とした幾つかの計算手法があり、以下はその主たる学説だ。

- 種類:当時、宋の人々は「金」「銀」「銅」の貨幣を用いていた。「1両金」は舟のような形状をしている。これは「元宝」と評され、唐王朝時代から清王朝時代まで継続的に用いられた。今も中国の伝統的な縁起物には、よくこの金色の元宝をモチーフにしたものが使われている。「1両銀」は形状はこれと同じで、色が銀色である。「銅銭」は日本の5円玉に似た、四角い穴の空いた丸い形状。その銅銭1000枚を紐で輪にして束ねたものを「1貫」と呼ぶ。また、1枚の銅銭は「1文」と呼ぶ。
- 関係:「1貫(1000文)=1両銀」「10両銀=1両金」である。
- 価値:1両金 = 3000人民元(約66000円)、1両銀 = 1贯銅銭 = 300人民元(約6600円)、1文銅銭 = 0.3人民元(約6円)である。

これを鑑みると、「200〜1000文」という一兵卒の月給は「60〜300人民元(1200〜6600円)」という事になる。宋王朝時代において街中で売られていた饅頭は「2〜3文」で、これは「0.6〜0.9元(12〜18円)」。最低月給の200文の一兵卒が毎日饅頭を2つ買っていたら、それだけでほとんど収入が消えてしまう。当時の大衆生活が現代ほど支出を必要としない簡素なものであった事を鑑みても、命を賭ける仕事の割にはひどく安い感じがする。一方、『水滸伝』で梁中書が賄賂用に民から巻き上げた「生辰綱」は十万貫(十万両銀=一万両金)であり、これを換算すると3000万人民元(約6億6000万円)」という事になる。贅沢三昧で不自由も恐怖もない享楽的な日々を満喫する奸臣が、命を国に差し出しても数千円しか貰えない民から賄賂用の莫大な税金を巻き上げるというこの状況。民がブチ切れて、宋江(そうこう/sòng jiāng)や方臘(ほうろう/fāng là)の反乱軍に流入するのは至極当然である。

<索超もそう思っていたはず>
索超は「巨神」なので基本給も比較的高かったであろうが、河北大名府留守司正規軍に属し、大名府の名将として、時には命を賭けて山賊勢力や異民族と戦わねばならなかった。また彼に良識と美徳があれば、自分と比較できないほどの低報酬で同じく命賭けで戦っている部下たちの様子を目にし、心を痛めていたに違いない。そして、その彼のすぐそばで、梁中書(りょうちゅうしょ/liáng zhōng shū)が数億円の生辰綱をせっせと民から巻き上げて、にやにやしながら飽食と快楽の毎日を過ごしている。内心、彼は忸怩たる思いを抱いていたに違いない。この理不尽な社会関係性を肉付けすれば、索超が梁山泊勢力に加わる根拠の薄さを解決出来ると思われる。

<原型>
歴史上の宋江の反乱に参加した36人の多くは名前が記録されていない。しかし、宋元時代の龚开的『宋江三十六人赞』では、初めてこれら36人の名前とあだ名が登場し、その中に索超も含まれている。また、同時期の『大宋宣和遗事』にも索超が宋江の部下の一人として登場している。

<三元論に基づく特殊技能>
#### 金蘸斧の連撃(具術)
**説明**: 索超は、巨大な身長と長尺の武器「金蘸斧」を最大限に活かし、自由自在に縦横の連続攻撃を行う能力を持つ。この具術は、彼の強力な体格と優れた武術に基づき、戦場で圧倒的な攻撃力を発揮する。
- **効果**:
  - **道具性(とても濃い)**: この具術は、金蘸斧という特定の武器に強く依存する。
  - **思考性(中程度)**: 武器の使い方と戦術的な判断力が必要。
  - **関係性(薄い)**: 主に自身の戦闘能力に関わるため、直接的な人間関係への影響は少ない。

#### 具体的な使用例:
1. **縦横無尽の攻撃**: 戦闘中、索超は金蘸斧を自在に振るい、敵を次々と打ち倒す。縦横の連続攻撃で敵の防御を崩し、圧倒する。
2. **大柄な体格の活用**: 索超は、その巨大な身長を活かして広範囲に攻撃を行い、敵の動きを封じる。

※画像:DALL-E
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