をかののかほ②

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コラム
奇縁、というのか、周りにポルグラファンは皆無で残念に思っているが、周縁にはそれなりに好きな人もいるみたいだ。
先日、故郷へ20年以上ぶりで帰った。北陸新幹線で、私は大宮から乗ったのだが、その時すでに着座していたので、先方は東京から乗車していたのだろう、若いカップルで、見た目が悪く、それでも男の方が女に窓際の席を譲って静かに過ごしていた。途中で一度女がどこかへ消えたので、もしや一人旅だったかと思っていたのが、また戻って来て、何だと思った。列車は軽井沢へ着き、金沢に着いた。このあたりで降りる人が多いので、降りない彼らが不思議だった。
私は福井で降りるので、芦原温泉駅が見えたあたりで下車の支度を始めた。すると、驚いたことにその二人がそろそろと列車を降りたのだ。改札を出るまで目の前を歩く二人から目が離せなかった。エスカレーターを昇りながらふと男の下げている大きなバッグのロゴが読めた。「Porno…」まさかと思ったら、「…Graffitti」と書いてあって、男だけであったら絶対に声を掛けていたはずだ。気になっていた人が、まさか同じ趣味だったとは。

ちょうど芦原温泉駅を過ぎる時、ポルノの「愛が呼ぶほうへ」がアイポッドから流れて来て、私は涙が出た。これは故郷を愛する心を歌った曲なのだ。神様のプレイリストに違いないと思った。天啓、という言葉が脳裏に浮かんだ。

…新幹線に乗っている間ずっとポルノの曲を聴いていて、時に無音で口ずさんだ。口の形を見たら、曲がわかるかしらと思いながら。わかる人が誰もいないと思って。そう思っていたのに、その人たちなら、きっと本当に見たらわかったはずなのだ。何という奇遇だろう。

旅立つ君をただ黙って送った
父の背中の涙を受け止めていた
        「愛が呼ぶ方へ」

父は私がふるさとへ戻って住むことを、反対はしないが、賛成していない。
父は、私が上京する時も、片時も離したくなくてついて来てしまったのだ。
そんな父を残して、関東を去ってゆくことは罪なのかもと思わないではない。それでも物価や住環境を考えて、ちょっと今自分の手が届きそうなしあわせの最大限は、このあたりでは叶いそうもないのだ。低予算で、良い家に住む。車に乗る。犬と暮らす…。見たい時にすぐ海を見に行けて、山がいつもぐるりにある。そんな暮らしがしたい。懐かしい方言で話したい。幼い頃や少女の頃の、自分を見つけることのできる、街角にいつも立っていたい。
そう本気で夢みていることは、罪なのだろうか。人を悲しませてまで、実現すべきではないのだろうか。
この上なく疲れ衰えた心には、もはや安住ということ自体が夢のまた夢とは知っていても。

花が空に伸びゆくように 海を越える旅人のように
いつも導かれているのでしょう 愛が呼ぶほうへ

ふるさとは、確実に私を呼んだ。帰って来ても、すでに恋しい。今すぐ会いたい。それでも、私にとって最愛のものは、父なのだろうとやはり気づかされる。父の沈黙と、心配で眠れないという言葉は、最後の決断を鈍らせている。





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