おはようございます*^^*
雨上がりのキラキラ輝く光景はまた美しいですね。
ここにそれらが映し出されている。
体の内と外という境目があったのではなくて
ここに、境目のない光景が現れ続けてる。
まんまるの鏡。
体の中の私は様々な経験をとおして
このまんまるに開かれ戻る道を
歩んでいたんだなあ。
道というのも私という目線から生まれるものだけど・・・
”わからない・・・”
これが真実だったんだなあ・・・
知ろう知りたいという想いも
素敵なことだけど
それが私という塊を強めていた。
頭の中を知識や記憶でいっぱいして
その中を彷徨っていた・・・
思考も考えも
私が考えた、思ったのではなく
ここから現れている。
ということは、思考や考えに掴めるものはないという
諦め=明らか。
昨日お話していた方が
お付き合いしている人がいるけど
それもわからなくなりましたという
感覚の中でお電話くださいました。
彼が実在しているのかどうかわからないと・・・
会っていないとき
目の前にいないその彼は存在していない。
存在していると思っているのは
頭の中での想像で実際のその彼ではないのですね。
現れたときはじめて、それは現れる。
”付き合っている”
というのも無いもの。
頭の中だけのもの。
その方にとっても、記憶や形のような決まり事が
とても儚いあやふやなものとして
感じられるようになり
よくわからない感覚が起きてきたのだと感じました。
鏡に映し出されないものは
無い・・・
そこを感じ取られていたのでしょう。
そしてその鏡は、私たちの背後からいつも
照らし続けている・・・
いつもいつも明らかに・・・
諦めるは明らかにする・・・
私を諦めたとき
求めるがやんだとき
それらは明らかになるということでもあるのかもしれない。
同時にもう探さなくていい
いつもここにあるという
安心感に包まれるのでしょう。