概念の手放し

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コラム
こんにちは*^^*

私たち本当にたくさんの概念の中で存在していますね。

この間表現した、この体の中に自分がいて、全て動かしてるということも概念。

これは本当に深くしみついているなあと感じます。

そして、たまに表現している、この間表現した私の一瞬体から離れる体験は
”一瞥体験”と呼ばれるものみたいです。

でもね、これも特別なものではなくて
全体のスペースからいえば、”お昼寝した”という体験と何も優劣がないのですよね。

私たちはすぐに自分を他よりも特別なものとして見てしがいがち・・・

全てが、全体から現れてきていること。

そこから現れているものは私たちがどのように区別や比較をしても同じ。

それを私たちは、この体の中に沁みついた私で判断し否定し、抵抗や苦しみが起きるのです。

昨日、妹の旦那さんに

”サラさん見てて、僕の離婚という概念が崩れた”
というような言葉を言われました。

?でしたが、どうやら私の行動が”普通”から見ると、悪く言えば無神経みたい(笑)

毎日、元のおうちに住む娘におかずを届けていますが、
旦那さんが居れば、挨拶するし、そこに居ようがいまいが気にならない。

娘のシーツなど洗濯するついでに、湧いてきたら、元旦那さんのものも一緒にしますし、
目につけば、玄関の庭の草の手入れなども・・・

(突然帰ってきたときは、ぞわっと湧いてきますが、それも湧き上がるまま)

そういうところが、どうも

”普通の離婚の状態”とは違うということで
彼の持っていた概念が、崩れたみたいなのでした。

離婚という形に拘りはなく
ただただ、そのとき湧き上がるままに動いてるだけ。

人目も気にならないの?と聞かれたけれど
そういえば、それもなくなっていますね。

会えば挨拶します^^

無意識に掴んでいる概念に気づいて
それを手放してあげられたら

その分楽に自由になりますね*^^*

拘りは必要ないですね☆







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