阿修羅様の話
またまた筆が乗ったので、徒然に書き連ねていく。
今回は、さすらいの神様についてだ。
仮にハーさんとさせていただく。
声を聞くたび、二重に声が聞こえることがあるので阿修羅か何かですか?と聞いてみたら
「そうだが?」
とこちらもびっくりするほどあっさり教えてくれた。
調べてみると阿修羅は戦いの神様でもあるそうで、前回書いた容赦なく悪霊を祓ったこともそういうことならば、納得がいく。
ちなみに御神体は京都の三十三間堂にある阿修羅だそう。
思い返せばうちの稲荷の神様(伏見出身)とか妙に仲が良いと思っていた。
そりゃ出身が近ければ仲も良いよなぁ、、
そのハーさん、色々な地方の方言で話されるなぁと思ったが、三十三間堂は観光地なので色々な地方からの観光客から方言を学んだのだと考えると合点がいく。
ワシや、オレ、私、など色々な一人称を使い分けられるのも三つも顔があるならば、納得だ。
阿修羅様は太陽の神としても信じられるそうで、晴れの日には稲荷の神様とも仲良く連れ立ってお出かけしているようだ。
神様同士、つくづく仲が良い。
ちなみにうちの神様たち、それぞれにしっかりお社がある。
輪王寺さんの神様、仮にKさんとさせていただくが、その方はそのまま輪王寺さんに。
稲荷の神様(Iさん)は伏見稲荷大社。
龍神様(Gさん)は山梨の刹海神社。
阿修羅様(ハーさん)は京都の三十三間堂。
こう見ると関東、または関西に位置していて大変行きやすい場所にあってお礼参りもしやすくて助かる。
ただ、Gさんが座す刹海(せのうみ)神社。
調べてみるとどうやら臨時休業中で、龍神様に詳しく聞いてみると臨時休業で暇だから旅をしていたそうで、そこでたまたま見つけたのが私だったため、私に付いてくれたそう。
ありがたい存在である。
話は変わるが、ハーさんにいつから付いてくださっていたんですか?と聞くとなんと驚き。中学生の時だそうだ。
「お前が外の公衆電話で泣きながら母上に電話してるの見ていたら放って置けなくてなぁ、ガハハ!」
と豪快に笑われた。
なんとなくバツが悪い。
これは本当のことで、中学生の修学旅行の際、色々あり三十三間堂で限界を迎え、公衆電話から母に電話したことがあったのだ。
それをハーさんは見てくださっていて、此奴大丈夫か?となったそうでそれからずっと見守ってくださっていたんだそう。
こちらもまた大変ありがたい。
私の心の眼にはずっと着流しに見えていた服も三十三間堂の阿修羅像のお写真を見るとおそらく法衣だった。
心の眼の話をしよう。
額の真ん中、ここには退化した松果体という眼の組織があるそうだ。
退化しているのでもちろん今は目として機能していないが、組織としてはあるよう。
なのでなんだか良くないものや、神様たちのお姿などは意識してこの心の眼で視るようにしている。
ハッキリと視えることもあるし、ぼんやりとして視えることもある。
その時々によって視えかたはそれぞれだ。
これを読んでる読者の方も、なんだか嫌な予感がするな、と思ったり、ここは良いところだ!と感じる神社などに巡り合った際には、意識的に心の眼で見るようにしてみるといいと思う。
また気まぐれに執筆していくので、お時間があったらぜひ読んでいただきたい。