「婚外恋愛」なんて言葉を認めない人たちについて

記事
コラム
非常に熱心なキリスト教徒に、
「今日からアッラーの教えを信じて生きてください」
と言ってもムリでしょう。

イスラム原理主義のような過激な人達に、
「今日からキリストの教えに従い生きてください」と強要すれば、
とんでもない暴動が起きるはずです。


信仰とはそういうもの。
自分が「絶対だ」と思ったものに忠誠を誓う。

なので、「信じる神が違う」というのは「絶対的に価値観が違う」と
いう、ある意味では絶望的に理解しあえないことを意味する。



婚外恋愛を認める・認めないについて、僕は「信じる神が違う」ぐらい
の価値観の差であると感じている。


「婚外恋愛とかいいながら、結局不倫じゃないか」
「どうせセックス目的なんでしょ」
という人の意見はよくわかる。

一方で
「不倫よりももっと純粋な形なんだ」
「セックスありきなんかじゃない」
みたいなこともよくわかる。


僕は婚外恋愛も不倫も肯定するタイプの神を信仰している。
でも、肯定しない派の人たちの意見もごもっともだと理解する。


ざっくり言うと、僕はこう考えるわけです。

「他人の恋愛なんだから。ほっといてよくない?」
「既婚者が他に好きな人ができて、それが露見したら自分が相応に罰則を受け  
 る。そのルールだけでよくない?」
と。



婚外・不倫否定派のひとがときどき言う
「子供がかわいそう」ってやつ。

そんなの家庭毎に環境が違うんだから、そこの子供がかわいそうか否かなど
他人が計れるわけがない。


恋愛なんて自己責任。
他人がどうこう言う問題ではない。
何かあれば 「婚姻に関する国が決めたルール」で 本人がジャッジされればいい。

それだけ。


そんな価値観なので、僕は芸能人の不倫だの浮気だののゴシップが好きではない。

いいじゃん。好きにやれば。
当人同士の問題をおもしろおかしく、他人が口出しすることでもなかろう。
という価値観。



と、つらつら書きましたがこれも僕の「信仰」に関する自分の意見なわけで。
「信じる神が違うひと」 に理解を求めるつもりはない。

逆に「同じ神を信じるひと」で困っているひとがいれば、助けてあげたいと思うわけです。


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