承認欲求ってクセモノ?クワセモノ?

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私は積極的にはSNSを使っていないので、この分野の諸々の問題については疎いのですが、よく言及されているキーワードとして「承認欲求」があります。
確かに私たちは人に認められれば嬉しいし、認められなければ凹みます。
私は承認欲求というのはこの程度のものだと高をくくっていました。
こんなもの誰でも持ってて、良いも悪いもない、単に程度の問題に過ぎない、と思っていました。

しかしながら、どうやらそうではなさそうなんですね。
ちょっと前からのSNSの興隆、それに伴うトラブルの数々・・・
多くの識者と称する人たちは、承認欲求の暴走である。
その結果として自己愛が肥大してしまっているからだと・・
そうおっしゃるわけです。

まぁ、確かにそういった面もあるでしょうが、本質的には違うのでは・・と思えて仕方がないのです。
違和感を抱いてしまうのです。

私は承認欲求が強すぎて、暴走しがちになるのは、その人が決定的に自分を愛せていないからだと考えています。
そして自分自身という人間を信じられない。
自分を愛せず、信用も信頼もできないかゆえに、他者に執拗に自分を認めてもらおうという行動を繰り返すのです。
昔からこの手の人たちは一定数存在していたのですが、SNSが行き渡ったことで可視化されてきただけなのだと思います。
それと、承認欲求は自己肯定感と強く関係しています。
自己肯定感が高く保たれていれば、承認欲求なんてそんなに生まれません。
承認欲求が強いのは自分の自信のなさの表れなのですから。

私の持論なのですが・・・
現代社会は多くの私たちの自己肯定感を削ぐための装置を用意し(義務教育・メディア・会社等)執拗なまでに私たちのそれを損なわせています。
そんな状況下に生まれ、生きていくうちに当然に人々は自己肯定感を損ないます。
それにプラスしてSNSの興隆といった事象が相まって色々な問題や事件が多発しているのです。

私はこれらのことに気付き、自衛策をとっています。
その方法とは、私の自己肯定感を損なおうとするものを排除すること。
・・・至ってシンプルな方法でして、取り立てて珍しくはありません。
具体的な方法としては、テレビは原則として観ないこと、この社会を闇雲に否定する内容の著作物・ネット記事の類はさっと目を通すだけにするといったところです。
それと、これは昔からやっていたことなのですが、人から私を否定するような言葉をなげかけられたら、私は「はっ、それが何か」と聞き流します。
徹底的に無視して、すぐに忘れるようにします。
口に出したら余計なトラブルが起きますから、あくまで心の中で呟くだけです。

これらの方法は私にとってはかなり効果がありました。
もし、皆さんがSNSで嫌な絡みをされたら、あるいは悪目立ちしている人を見かけましたら・・・
「ああ、この人は自分のことが大嫌いで、自分を信じられない可哀そうな人なんだ」と思ってスルーしましょう。
下手に相手に合わせることはありませんよ。


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