映画をつまらないものにしているポリコレとは?

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はじめに。私はありとあらゆる差別に大反対です。

しかし映画におきまして、言葉にするのも憚れるほど差別があったのも事実。だから映画を美しく綺麗なものとして、捉えているつもりもございません。映画界で起きた差別について執筆すると話が長くなるので、次の機会に。

本記事では、映画をつまらなくしている「ポリコレ」において、取り上げていきます。

ポリコレとは?

ポリコレとは、「ポリティカル・コレクトネス(political Correctness)」の略称。頭文字をから「PC」と呼ばれることもあります。直訳すると「政治的正しさ」という意味を持ち、特定のグループに対して差別的な意味や誤解を含まぬよう、政治的・社会的に公正で中立的な表現をすることを指します。

引用:PR TIMES MAGAZINE
「政治的な正しさ」と言われても何のこと状態。要は「世の中には色んな人がいるから、平等に接しましょう」です。

地球上には、日本人・中国人・アメリカ人・ドイツ人・アフリカ人と色んな人種の方がいます。男性が好きな人・女性が好きな人・両方好きな人。美しい人もいればそうでもない人もいます。

でも外見や趣味嗜好が他と違うからとはいえ、色眼鏡で見るのは駄目。中国人だから◯◯、アメリカ人だから△△と、勝手に決めつけるのは良くない。「みんな平等に接していこう」というのが、本来のポリコレの筈です。

なお、繰り返すようですが「みんな平等に接していこう」という考えそのものは、一切合切否定するつもりはございません。

ただのパフォーマンスに成り下がった「平等」

ポリコレを織り込んだ映画は、増えてきました。本当に「平等」という名前の元に制作しているのなら、私は何も言いません。ただ数々の作品を見る限り、どうしても一種の「パフォーマンス」としか思えないのです。

古今東西どんな作品でも、必ずマイナス意見は出てきます。主要な映画賞を総なめにしたほどの名作であっても、否定的な感想を持つ人をゼロにするのは不可能です。

しかしポリコレ映画の場合、万が一にも否定的な感想を持つと最悪です。「差別主義者」とレッテルを貼られ、攻撃対象になってしまいます。結果、映画にマイナス評価がつくことはありません。

もっと掘り下げると「私は差別をせず平等に人を見ています」という、映画会社側のパフォーマンスでもあるのです。良い顔をしてアピールすれば、会社の株も上がります。

表現者としてではなく、パフォーマンスの道具としての扱い。こんな酷い話があってたまるものか…。

エンターテイメントを忘れた映画

映画はエンターテイメントです。どんな内容であったとしても、最終的に観客を楽しませた作品が勝ちとなります。

ところが、ポリコレ映画は自分達の「正しい主張」を貫くための手段に。「観客を楽しませる」という本来の目的は、おざなりになっています。

「どんな人でも平等に接しなさい」と、2時間かけて延々と説教する映画。そんな映画に喜んで1900円を払う人はいらっしゃるのでしょうか?

私なら、ご免被りたいものです。





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