霊はそこにいます

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占い
小中学生ならいざ知らず、いい大人が「そこにいる赤い着物の女の子の霊は誰を待っているのだろうね」という会話をするなら、相手を選ばなくてはいけません。きっと相手はぎょっとするでしょう。

もちろん私は良識ある大人ですから、普段は視えたもの、感じたことをそのまま誰にでも言うことはありません。そしてたいていの霊は怖くありません。寂しい霊も、怖い霊もいるでしょうけど、私やあなたを守ってくれている守護霊様だっていらっしゃいます。


ココナラの占い師は、結構な確率で「視える人」のようです。だから私も声を大にして言います。私も視えます!!


ただ、いつもどこでも視えるかというとそうでもありません。私は視えるというより感じるという方が近い気がします。何も意識していないときには感じますが、視ようとすると目に見えるものしか見えません。

以前ここに、餓鬼のような霊がいたな…と怖いもの見たさでちらりと見ても、木の葉が揺れているだけだったりします。でも、絶対なにかいる、と、息をつめて通り過ぎます。油断して、ひょいと憑いたら嫌ですから。


憑くと言えば、私にはやたら憑かれる時期があります。視えるし憑かれる。霊感レーダーが立っている感じです。その時期は、私の人生が大きく変わるとき、つまり大変な時です。

結婚するとき、姑が亡くなるとき、大きな借金を背負うことになったとき。そんな時は、私の守護霊様が、「非常時だから、通りがかりの霊でも、どこかの力のある霊でも、誰かこの子を助けてやってよ」と、いろいろな霊に声を掛けて、大変な時を乗り越えさせてくださっているのではないかと思っています。
だから何か視えると、「また何か起きますか?」と身構えるようになりました。


私以外の人の守護霊様は、私に用があるときは姿を見せてくださいます。お相手様から姿を見せてくださらない限り、私が視ようとして視えるものではありません。

自分の守護霊様は、感じることはできても姿を視ることはできません。これは自分の顔を直接見ることができないのと同じことではないかと思います。
時々、話しかけてみたりしますが、自分の思考と混ざり合っていて、どこまでが自分の考えで、どこからが守護霊様の考えか、わからなくなります。


占いの先生には、占い師に必ずしも霊感は必要でない、と言われてしまいましたが、見えないものを信じる気持ち、科学的根拠のないものを信じる気持ちは、通じるものがある気がします。


霊感と言っても人それぞれで、オーラが見える方、前世が見える方、守護霊とお話しできる方などさまざまな能力があるようです。占いという、人の役に立つことにその能力を生かせることは素晴らしいことだと思います。


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