小説「ニライカナイ」ー1

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 ニライカナイとは、琉球神道における「神々の国」及び「生命が生まれ、死んだ者の魂が祖霊神として蘇る国」のことである。言わば、「常世の国」にあたるものだ。
 琉球の島々では、東の海の果て、またはその海底にニライカナイがあると信じられてきた。つまり、太陽の昇る場所にそれがあると考えられてきた。そしてニライカナイからやって来る神々によって豊穣がもたらされ、人々の生活が支えられているのだと語り継がれてきた。
 その存在が証明されたことは、未だかつてなかった。そう、あの日までは。

                *

 琉球国際大学ダイビングサークルの面々は、夏休みの初日、那覇空港発羽田空港行きの飛行機の中にいた。彼らは到着後ホテルで一泊し、翌朝フェリーに乗って小笠原諸島父島・母島を経由し、従姉妹(いとこ)島(じま)へ向かう予定だ。
 従姉妹島は、母島と硫黄島の間にある小さな有人島である。主な観光資源はなく、ダイバーぐらいしか訪れない知る人ぞ知る島であったが、あるものが発見されたことで、昨今注目を浴びている。
『次のニュースです。先月、小笠原諸島従姉妹島近海で発見された海底遺跡の件で、経済産業省資源エネルギー庁は、その下に大量のメタンハイドレートが発掘される可能性が高いとして、調査を積極的に進める方針であると発表しました。一方で、東京神道大学神道学部神道学科の入(いり)江(え)奈(な)津(つ)彦(ひこ)教授は、その遺跡は我が国にとって重要な史跡であると述べ、メタンハイドレートの発掘に反対する意思を表明しています。続きまして……』
 琉球国際大学二年・赤(あか)郷(ざと)大海(ひろみ)は、イヤホンを耳に入れてニュースを聞いていた。傍らでは、同級生の宮城波音(みやぎはのん)が静かに寝息を立てている。
『先日、多摩川の土手で発見された、女性の遺体の身元が判明しました。女性の氏名は新垣(あらがき)美穂(みほ)さん、二十四歳、無職。彼女は妊娠していましたが、橋から飛び降り自殺を図ったとみて、警察は捜査を進めています……』
 空色の瞳に赤い髪を持つ大海は、かつては全国に名を馳せた高校球児だった。甲子園ファンであれば、「赤髪の左投手(サウスポー)」と聞けばわからぬ者はいないほどであった。那覇市の私立島(とう)南(なん)高校野球部のピッチャーとして活躍していた大海だったが、惜しくも優勝を逃し、準優勝という結果で彼の夏は終わったのだった。
 彼の夢は、亡き祖父の夢、つまり甲子園の優勝旗を沖縄に持ち帰ることであった。しかし遂にそれは叶わず、彼は右手用のグローブを段ボールの中に封じたのである。
 そして、隣の座席で眠っている長い黒髪の彼女・宮城波音は、自身が「ユタ」であると同級生にだけ打ち明けている。「ユタ」とは、沖縄における霊媒師のことだ。神と通じ、神の言葉を集落の人々に伝えるのがユタの役割であったが、琉球王国時代に迫害に遭った歴史から、現在もあまり表立って活動していないのが現状である。
 そして、彼女はこう言っている。あの海底遺跡こそが、「ニライカナイ」であると。
 ユタとして目覚めた代償として、彼女は声を失った。しかし、彼女は「御嶽(うたき)」という、神社のような神を祀る場所へ行くと声を取り戻すことができる。つまり、例の遺跡の近くへ行けば彼女は話せるようになるということだ。大海は半信半疑でその話を聞いていたが、もし本当に彼女が声を出すことができたら、信じるしかないと思っている。つまり、二人の目的はダイビングではなく、その遺跡が本物のニライカナイであるかどうかを確認することであった。
 大海と波音、そして同じ島出身の同級生たちも揃って島南高校を卒業し、琉球国際大学へ進学した。学部は別々だが、同じダイビングサークルに所属し、現在に至っている。
『皆様、当機は間もなく、着陸態勢に入ります。座席とテーブルを元に戻し、シートベルトをご着用ください』
 アナウンスが入り、ニュースの画面が途絶えた。窓の外を見ると、そこには初めて訪れる首都・東京の夜景が広がっていた。
「うわ、すっげぇ!! おい大海、起きてるか!? キレイだな、東京って!!」
 背後から、褐色肌の同級生・鹿(か)島(じま)遼(りょう)平(へい)の興奮気味な声が聞こえた。そうだねと返そうとしたが、その寸前に彼は隣の席の知(ち)念(ねん)篤(あつ)志(し)から拳骨を食らう。
「うるさいぞ、バカジマ! 大人しく座ってろ」
「んだよ、うっせーのはおめぇの方だクソメガネ!!」
 何だと、と篤志も対抗しようとしたが、CAに止められて二人は赤面して黙り込んだ。その様子を見て、廊下の向こうに座っていた二人・宇留間(うるま)真珠(しんじゅ)と南風原(はえばる)渚(なぎさ)が口元を抑えて笑いを堪えている。真珠はウェーブをかけた長い髪を栗色に染めているが、それとは対照的に渚は艶やかな黒髪を短く揃えている。
 機体は無事着陸し、彼らは軽い足取りで空港内を移動した。荷物を受け取ると、ダイビングサークルの面々は部長の大城(おおしろ)雅(まさ)貴(き)に続き、ホテルへ向かった。彼は優しげな垂れ目と百八十五センチの長身が特徴的で、メンバーからはマサ、もしくはマサさんと呼ばれ慕われている。
「よし、みんな! これからペアごとに鍵を配るから、失くしたりしないようにね! あと、明日は9時にこのロビーに集合! 来なかった人は置いていきましょうね!」
 部員たちは、笑いながら鍵を受け取ってそれぞれの部屋へ向かった。ペアは予めくじ引きで決められたもので、大海は雅貴と同室であった。あまり話したことのない先輩と二人きりというのは、やはり少し緊張する。
「よろしくお願いします、マサさん」
 大海が遠慮気味に会釈すると、雅貴は優しく微笑んだ。
「うん、こちらこそよろしくね。実はさ、俺も球児だったから、ぜひ一度君と話してみたかったんだ。俺たちにとっても憧れだったんだよ、『赤髪のサウスポー』は」
「ほ、本当ですか? きょ、恐縮です」
「堅い堅い! リラックスしないとちゃんと寝れないよ、大海くん!」
 くしゃり、と軽く彼の頭を撫でる。照れながら、つられて大海も破顔した。
 その晩、二人は夢中になって甲子園の話をした。気づけば日付が変わっており、そろそろ寝ようかと雅貴が言うと、彼は左手の薬指に嵌めていた指輪を外した。
「あれっ? マサさん、もしかしてご結婚されてるんですか!?」
 大海が声を上げて尋ねると、雅貴は照れ笑いをしながら答えた。
「まさか。でも、将来を約束した人がいるんだ。だから、これはただのペアリングだよ。でも、まぁ……婚約指輪みたいなものかな」
「へぇー……あっ、みんさー織の模様じゃないですか! マサさんって、石垣か竹富(たけとみ)のご出身なんですか?」
「うん、石垣だよ。彼女がね、絶対この模様がいいって言ったからさ」
 みんさー織とは、竹富島発祥の織物技術のことである。藍色の帯に五つと四つの白い四角形の絣(かすり)模様を作り、「いつ(五)の世(四)までも末永く幸せでありますように」という願いを込めたものだ。現在では布製品のみならず、指輪などのデザインにも採用されている。石垣島のお土産屋にいけば、必ずと言ってもいいほど何かしらのみんさー柄の商品を目にするようになった。
 雅貴の銀色の指輪には、透明な水色のみんさー柄が施されている。それは、故郷である石垣島の海をイメージしたものらしい。
「この指輪を彼女の左手の薬指につけながら、彼女の誕生日に、夕暮れの綺麗な御(お)神(がん)崎(ざき)でプロポーズしたわけさ。僕が大学を出るまで、待っていてくださいね……って」
「わぁ……! 素敵ですね!!」
 御神崎とは、石垣島の北西に位置する、灯台のある岬のことである。そこからは、西表島に沈む夕日がよく見えるのだ。
「……さ、もうこんな時間だし、そろそろ寝ましょうね!」
 恥ずかしくなったのか、赤面した彼は指輪をサイドテーブルに置くと、すぐさまおやすみと言って寝転んだ。大海もおやすみなさいと答えて、部屋の電気を消した。

                *

 東京から父島まで二十四時間、さらに父島から母島まで二時間、最後に従姉妹島まで一時間という長旅を経て、彼らはようやく目的地にたどり着いた。翌日、彼らは島唯一のダイビングショップ・従姉妹島ダイビングサービスのスタッフに迎えられ、バンで港へ向かって船に乗り込んだ。天気は晴れ、風も穏やかな絶好のダイビング日和である。
「皆さん、おはようございます! はるばる従姉妹島までお越しいただき誠にありがとうございます。スタッフの山内(やまうち)友(とも)弥(や)です、よろしくお願いします!」
 短く切り揃えた金髪によく焼けた筋肉質な体がよく似合っている青年・友弥が、ウェットスーツ姿で頭を下げる。
「同じく、スタッフの山内(やまうち)友(とも)花(か)です。友弥の双子の妹です。よろしくお願いします!」
 ぺこり、と短い金髪を揺らして挨拶をした彼女。なるほど、確かに顔立ちのよく似た二人である。
 その横で腕を組んでいる人物は、どうやら船長らしい。黒い強面に大きなサングラス、恰幅の良い体格。おまけに葉巻まで加えていて、威圧感が凄まじい。
「船長は、父の友和(ともかず)です。ご存じの通り、従姉妹島の近海ではギンガメアジやバラクーダの群れなどが期待できますが、潮の流れが速いため、ドリフトダイビングで潜ります。ドリフトが初めての方はいらっしゃいますか?」
 友弥が尋ねると、何人かが手を挙げた。ドリフトダイビングとは、海の流れに身を任せて潜るスタイルのことである。つまり、船がダイバーたちを追いかけて移動し、エグジット地点で回収するという方法だ。なぜ船がダイバーたちの位置を把握できるのかと言うと、彼らが吐き出す泡か、もしくはインストラクターが持っているシグナルフロートという縦長の風船を目印にしているからである。
 友弥はドリフトダイビングの経験者と未経験者グループに分け、後者は妹の友花に任せた。大海たちは昨年与那国島で経験したことがあるので、友弥率いる経験者組に入れられた。前者は先にエントリーし、後者は後で入るよう指示された。怖くなったら、すぐに浮上して船に上がれるようにするためである。
「すまんが、儂はどうすれば良いかの? 一応経験者だが、もう何十年も潜っていないし、見ての通りの老いぼれじゃからの……」
 不安げな表情で友弥に声をかけたのは、立派な白い髭を生やした老人だった。どこかで見たことのある顔だな、と思った直後、大海は無意識にその人物の名を口にした。
「入江奈津彦教授……?」
 呼ばれると、彼はすぐに大海の方へ振り返った。なぜ儂の名を、と尋ねられる前に、ニュースでお見かけしたからですと返す大海。
「おお、そうか。いやぁ、お恥ずかしい。あの時はつい、熱が入ってしまってね」
 ぽりぽり、と薄毛の後頭部を掻きつつ照れる教授。
「まぁ、入江教授ですって!? お会いできて光栄ですわ、わたくし、こちらのサークルの顧問をしております、嘉(か)手(で)苅(かる)聡(さと)子(こ)という者です!!」
 両手を出して握手を求めてきたのは、眼鏡をかけた短髪の中年女性だった。彼女は沖縄民俗学部の講師で、琉球神道を専門に研究している人物だ。そのことも含めて自己紹介をすると、入江教授の瞳も輝き始めた。
「おお、それはそれは! では、やはり貴女もあの遺跡が発見されたから来られたんですかの?」
「ええ、勿論ですわ! わたくし、実は、あそここそがニライカナイなのではないかと踏んでおりますの!!」
 聡子が言うと、波音が無意識に視線をそちらへ向けた。
「せんせーたち、興奮し過ぎ! ねぇ、あの遺跡ってそんなにスゴイところなんですかぁ?」
 ウェットスーツを着ながら、何気なく尋ねた真珠。すると、血相を変えて入江教授が答えた。
「君、あそこがどれだけ凄いところか知らないのかい? 沖縄の与那国島にも海底遺跡があるが、それとはまるで比べ物にならない世紀の大発見なのだよ! この世の全ての考古学者が驚いているんだ、何せ見たこともない文字が石に刻まれていて、貝塚や埴輪のような、実際にその遺跡に人々が暮らしていた跡だってある。最も驚くべきことは、神々と思われる絵の表すストーリーが日本神話のそれと酷似していること!! あそここそ、我が国の先祖、そして神々の住んでいた聖地に違いないんだよ!!」
 興奮して話す教授の勢いに戸惑った真珠だったが、はいはいそこまで、と友弥が割って入る。
「先生、その辺にしときましょ? もう息が上がってるし、心配だから先生は後ろの未経験者グループについてください。確か、心臓病の手術も終わったばかりでしたよね?」
「ああ……そうじゃった。だからこそ、経済産業省の調査でこの島が出入り禁止になる前に、お迎えが来る前に、遺跡が見えなくてもいいから、この聖なる海に潜りに来たんじゃ……」
 教授の言う通りだった。間もなく、この島の近海で経済産業省資源エネルギー庁の本格的な調査が始まる。そうなれば、当然ダイビングもできない。だからこそ、聡子たっての希望で多額の予算と長い時間をかけて大海たちも潜りに来たのだ。
「おい、そこの赤毛野郎!! ジジイの長話に付き合ってねぇで、とっとと俺たちの器材のセッティングしやがれ!!」
 大海を指さして怒鳴ったのは、サークルのOBで元部長の金城(きんじょう)辰巳(たつみ)だった。彼は現在東京で暮らしているため、ホテルで大海たちと合流していた。太い眉に大きな体だけでも威圧的なので、彼のことが苦手な部員は多い。しかし下手に逆らうとさらに機嫌が悪くなってしまうのは百も承知だったので、大海は大人しく彼に従って器材のセッティングを始めた。サークル活動に参加するOBの器材のセッティングをするのは、一・二年の役割であった。
「大海くん、大丈夫? 気にすることないからね」
 臍を曲げていた彼に声をかけたのは、雅貴だった。彼は既に準備を済ませていて、タバコを船尾で吸っているところだった。その笑顔につられて、大海も機嫌よく答えた。
「はい、ありがとうございます!」
 タンクが満タンであることと器材に異常がないことを確認し、大海は自身の器材のセッティングを始めた。全員がそれを終えると、ようやく船は出航した。船の起こす波が、太陽の光を受けてまた一段と白く輝く。
 その間、船尾に腰掛けて雅貴は辰巳と何か話していた。辰巳が何か耳打ちしているようだったが、その内容はわからなかった。
 三十分ほどかけてポイントに到着すると、友弥に続いて経験者グループが次々とエントリーした。そして、それに未経験者グループが続き、最後に友花が海に入った。そのポイントは、まさに教授と聡子が聖地と称していた遺跡の発見された場所に近い場所であった。
 しばらく潜っていると、大海たちは早速ギンガメアジの群れに遭遇した。我を忘れて写真撮影に没頭する者が多い中、友弥と友花は冷静に周囲を見渡していた。ドリフトダイビングでは、撮影のため流れに逆らって泳いでいるうちに空気を大量に消費し、エア切れを起こしてしまうリスクが高い。また、ライセンスを持っているダイバーは最大でも四十メートルまでしか潜れないにも関わらず、そのルールを無視して深いところから写真を撮ろうとする者も少なくない。そのような危険な行為をしている者はいないか、また様子のおかしい者はいないか等、彼らは常にダイバーたちを観察していち早く気づき、対応しなければならない立場にある。
 すると、突如何者かが友花の左肩を掴み、彼女の予備の呼吸器を奪った。OBの金城辰巳だった。彼のタンクの残圧――残りの空気の量――を友花が確認すると、何故か三十気圧しかなかった。おかしい。いくらなんでも、満タンである二百気圧前後から三十気圧まで減るほどの深さではないし、それほどの時間潜っているわけでもない。しかし、間違いなく彼のエアは三十気圧余りであった。本人もパニックに陥っていて、非常に危険な状態である。
 予備の呼吸器を咥えた辰巳は、浮上しようと藻掻き始めた。だが、水深三十メートルからの急浮上は大変危険な行為である。減圧症――窒素の気泡が血管を塞ぐ病気――になるリスクが高まるからだ。彼女は必死に止めようとしたが、華奢な彼女が巨体の持ち主に逆らえるはずはなかった。先頭の友弥が異常事態に気づいたが、流れに逆らって駆け寄ることなどできるはずがない。彼女はそのまま、辰巳によって強引に水面へ引き上げられてしまい、そのまま姿が見えなくなった。
 突然のトラブル発生に対応しようとした友弥だったが、安全に浮上するには水深五メートルで三分間の安全停止をしなければならない。友弥は安全停止のサインをダイバーたちに示し、船尾から伸びているロープに掴まらせた。その間辺りを見渡したが、辰巳と友花はどこにもいなかった。
「大変だ、親父!! 友花が、客の道連れにされてどっか行っちまった!!」
「な、何だって……!?」
 浮上した直後、父親に大声で知らせた友弥。全員を船に上がらせ、友和は必死の形相で娘たちを捜索したが、その甲斐虚しく、彼らが見つかることはなかった。
 辰巳と友花は海上保安庁によって数日間捜索されたが、生死さえ不明なまま、それは打ち切られてしまった。

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