ありのままの世界を見ていないとは

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コラム
1か月くらい拭いていない眼鏡を想像してください。
自分の顔の脂やら雨が乾いたあとやらですごいことになっています。
抜け落ちたまつ毛もついています。
そしてガラスにはもともと黄色い色が入っています。

その眼鏡をかけて晴れ渡った空を見上げます。

当然、汚い黄色がかった空が見えます。

そして私たちは、これと同じくらい、真実の世界を変換して見ています。


いま「空」という文字をパソコンに保存してみました。
容量を見ると3バイトだそうです。

次にネットで拾った「空の写真」をjpgファイルで保存してみました。
容量は80キロバイトだそうです。

1024バイト=1キロバイトなので、「漢字1文字」と今回使用した「空写真」では、情報量が約26,666倍違うということになります(計算が違っていたらすみません)

私たちは、周囲を見渡した時、全くその通りになんて見れていません。
人間の目の能力の限界、脳の能力の限界があるのでかなり簡素化された「空」を見ています。

更には、遺伝情報や育った環境やトラウマなども含めて、その人の偏見というフィルターまで通して世界をみています。

みんな驚愕するほどに、世界をありのままに見ることができていません。
大幅に簡略化し、更に色眼鏡で見ています。

そしてそれは「今とは違う人生を歩みだすことが出来る」という可能性を示唆してくれています。

よくある例でいえば、日本人なら「落し物は却ってくることがおおい」という思い込みがあり、みんな比較的良い人だろうという目で見ています。

あとはお金で大失敗した親の姿を見て育つと、就職でも恋人選びでもなんでも「お金で失敗するか大丈夫か」というフィルターを通しがちになり、「怪しいんじゃないか」と何となく感じてしまっていたり、逆に「この人はお金のことはちゃんとしていると信じたい」という願望が、真実を良いように変換してしまうというフィルターを付けてしまったりします。

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