なぜ良い人をやめる必要があるのか?

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世の中は道徳的な教えで溢れています。

普通、親も先生もお坊さんも良い人間になりましょうという方向性で話をします。自分自身も良い人間でありたいと思うはずです。

でも良くない感情や考えを誰もが持つことがありますから、道徳的な規範を遵守して生きるのは息苦しく感じます。

それはお酒などで露わになってしまう事もありますし、お茶しながらでも良くあると思います。食事をするところなどに行けば、そこそこの確率で誰かの愚痴や文句を聞けるのではないでしょうか。

良くないと分かってはいてもなんとかオブラートに包みつつ表現してしまったり、別にいいんだけどと前置きをしてみたり。。

道徳的な教えを守ろうとすることは心のレベルでの行為であり、本当に良い人というのはそこに努力などないはずです。

どんなに上手く取り繕っても付き合いが長くなれば誰でもその人間性を少なからず見抜いていきます。

ではどうすれば自然体のまま、良い人でいられるようになるのでしょうか。

勿論一朝一夕というわけにはいきませんが、驕りや不安や寂しさに繋がらないよう、良いエネルギーに繋がって様々な種子を浄化し気づきを得ていくことで自然体で軽やかな人になれるのかなと思います。

人は鏡だと言いますが、相手がどう思うか、どう思われるかということではなく、相手と向き合った時、自分がどういう感情や思いを持っているかに意識を向けることでも気づきを得ることが出来ます。

自己防衛のつもりで周りを気にして気を張っている状態は疲れますし、自分で鎖に繋がれにいくようなものです。

浄化の結果として、行為の動機が自己防衛から愛に徐々に変化していく事が望ましいのかなと思います。
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