ラクーンシティ(汚染都市)からの脱出<前編>

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コラム
前の会社を辞めて、田舎に引っ越してきて、1年以上が経った。
どうにか生き延びた。そう、私は去年の3月、死にかけたのだ。
死にかけたというか、正確には、一度死んで生き返ったとすら思っている。
前にも書いたが、1年前まで中核都市の某大型商業施設で働いていたのだが、異変が起きたのは、去年の3月のことだ。すでに同僚や客の中には、歩行障がい者や、顔が黒ずんでる者が、ちらほら出始めている時期であった。そんな彼らをよそ眼に日々ただ業務をこなしていた。

来る3月25日、今までも多少は感じていた、ワクチン接種者の放つ悪臭が、どうもレベルが違う・・マスクは2重にしていたし、N95規格のものなので、かなり息苦しいのだが、それでも臭う。この、全力で体が拒否する、「嗅いではいけないニオイ」が充満している。なるべく客のそばに寄らず、人から距離を置くが無駄な抵抗だった、肺は苦しい、心臓は痛い、頭も痛い、とにかく本来なら職務放棄してこの場から逃げるべきだと感じたくらいひどい環境。
あのとき私は、バイオハザードのラクーンシティという単語を思い出していた、だから個人的に、前住んでた町をラクーンシティと呼ぶことにした。
彼らは歩く死体、ウォーキングデッドなんだよ、だから腐乱死体みたいな匂いを発しているんだ。実際の腐乱死体の匂いを嗅いでも不快ではあっても心臓や肺が痛くなるほどではない、だからこれは有害な化学物質が含まれているやばい匂いなのだ。だが、私以外、この匂いを感知できる者はいない。どうやらこの匂いを感知できる人間は、ごく少数であるらしい。
この地獄のような環境で12時間拘束、換気もろくにされてない閉鎖空間、もう死亡フラグがこの時点で立っている。それでも無駄に耐えてしまった。家に帰って、重曹クエン酸水と松葉茶を、がぶ飲みし、NAC、グルタチオンなどサプリメントの類も飲み干した。もうこの職場にはいられない。それでも明日も行かなきゃならない・・あの地獄のような場所へ・・。

そして、運命の日、3月26日、この日はもう、昨日のレベルではない、とんでもない濃度の毒ガスで満たされていた。もうアウシュビッツ収容所のガス室レベル、それでも周りの人間は平然としている、いや、咳をしているとか、足を引きずっているとか、そういうのは多少いるが、この毒ガスの中にいる人間の所作ではないのだ。いてはいけない、ここには!逃げるんだ速く!そう体は叫んでいる。でも社会人として、職務放棄して逃げるなんてできない。それならばせめて具合が悪いと告げて早退すればよかったじゃないかと思うかもしれないが、それも言い出せない雰囲気だったのだ。無駄に我慢強い性格が災いして体はどんどん蝕まれていく・・。
たしか20時くらいまでの勤務だったか、この日も12時間以上の拘束時間、今の私なら確実に、お前死ぬぞやめとけと忠告する。それでも19時過ぎくらいまで耐えて、あと1時間で終わるか・・と思っていたころに、目まいがしてきて限界だなと思い、上司に連絡して1時間早く帰らせてくれと頼んだ。
もう死にそうになりながら待機室に戻り、大丈夫か?明日出れるか?とか聞いてくるので、あ、出れる出れると生返事して(出れるわけねーだろ)すぐに職場を退出した。行き倒れになりそうだったので、タクシーを呼んで家まで帰った。だが、この時、私の体の内部では、とんでもない化学反応が起きていたのだ・・ありとあらゆる有害物質が体に溜まり、さまざまな化学反応を引き起こしていた。(続く)
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