「小説の技法}Lesson22 人称考

記事
コラム
 Lesson20で人称の問題を取り上げました。本当に、小説の書きたての頃、三人称視点と神の視点は、ぐっちゃぐちゃに混ざるものです。「今日子は楽しんでいた」「今日子ははしゃいで見えた」。前者が神様でしょ? 後者が三人称。じゃあ、「今日子は、はしゃいでいた」「今日子ははしゃいだ」もう、こんがらかるから、ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ 気を付けましょう。
 辞書引かなきゃわからない危ない動詞は取らないことです。

 で、人称の問題を語ると息苦しくなるので、スカッと、この人称の問題を逆手に取った世界的ベストセラー(しかも、デビュー作)「悪童日記」(英題 Notebook)を取り上げます。ハンガリー出身の女性作家とありますが(Wikipedia)、亡命者でしょ? まだ、米ソ対立のあった頃、いわゆる東であるハンガリーからフランスにわたり、著作をフランス語で発表しました。母国語で書いていたわけではありません。

 この作品は、ブクログの方にも入れてあります。ブクログクラブへの入会って何?って方。ただ、私の本棚をフォローして下さい。本について、情報が出ます。

 というわけで(何が?)、「悪童日記」の作者であるアゴタ・クリストフですが、不得手なフランス語を使うがためか、狙いなのか、快挙を成し遂げます。一人称複数視点を使ったんです。訳出の時、日本では、「僕ら」だったか「僕たち」だったか判然としないのですが、英語で言うならWeです。最初から、最後まで一貫して、Weで行動し、思考します。

 興味があったら、読んでみるといいと思います。じゃあ、彼らも、彼女らも、やってみれば? という感じですが、アゴタ・クリストフには、最後まで、一人称複数という視点で、書き抜く意志と筆力がありました。最後まで、きちんと、プロットが立っています。最終行まで、一人称複数だからこそできる幕切れを作っています。上手いというより凄いです。
 元々、ハンガリーで劇作家だったそうですね。素人じゃないんで、納得しましょう。

 実作の場合も、一人称が書きやすいから一人称、三人称が書きやすいから三人称。って決まって行くものではないです。自分の書きたいストーリーに最も合った人称は何か? プロットを立てる時に、これも、客観的になって、じっくり考えてみて下さい。

 なぜ、「俺は」なのか? 「僕は」じゃないのか? 「彼は」あるいは「章司は」じゃないのか? そして、章ごとに視点の切り替えがある小説、間違ってはいません。でも、一読者も兼ねた感想から言わせてもらうに、起承転結の熱が冷めることは理解しましょう。折角、盛り上がってきた時に、別人にパンします。盛り下がります。一から読者は感情を積み直します。短編で、これがあると、つらいです。書き手が思うほどに効果的な方法ではないです。

 物語に必然性のある視点切り替えを行いましょう。一人称でも、三人称でも、相手の気持ちが手に取るようにわかる書き方ってあります。紙幅も尽きてきましたし、明日は、そんなちょっと高度な小説の技法を紹介しましょう。           

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す