システムエンジニアを目指す。

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IT・テクノロジー
私は子供の頃からプログミングが好きで、パソコンと出会う前は、工作が好きだった。壊れたおもちゃは、分解して、ーぶる電球、モーターと分けて保存して、その部品を使って。別のおもちゃを作る。ものづくりが大好きだった。あと、クイズやパズルが大好きで、数学も好きだった。数学の教科書を貰うとその日のうちに全部読み、練習問題も全て解いた。だから、授業は、退屈で退屈でいつも寝ていた。大学は、管理工学科で生産管理などを学び、バイトは、工場でライン作業をやっていた。どうやったら、生産性が上がるか、考えるのが好きだった。ライン作業の最高峰は、やはりトヨタだと思い、季節労働者としてトヨタで働いた。看板方式やQ Cを体感した。かいぜん考え方は、素晴らしいし、品質管理も素晴らしかった。良い経験をした。トヨタのラインの最後は、品質管理者が傷がないかとか、チェックする。品質管理者は、つなぎにネクタイとカッコ良く、少し優遇されてる感じがする。だから、ソフトウェアでも、そうすべきと考えた、品質管理者の地位向上。ソフトウェアでは。やはりプログラマーが優遇されはながたである。
就職は、最初工場で考えたが、大体静岡とかが多く。工場に入ると福岡に戻れない。福岡大好きなので、福岡に戻れる仕事にしたいと思った。
で、ソフトエアであれば福岡支社がある会社が多かった。あと。やるからには、上を目指したいと思い。天下りのない独立系のソフトハウスばかりを探した。
で東京のソフトハウスに決まった。
実家の隣のお兄さんが、I B Mであまり交流がなかったが尋ねてみた。エンジニアとしての心構えなどを聞きに。その時に教わったのが、とにかく若いうちは、自分に投資しなさいだった。自分に投資?ピンとこなかったが、勉強しようと、本をいっぱい買った。少ない給料から、毎月2〜3万円分の本を買った。
あと、1冊の本をもらった、その本には、エンジニアになるための五カ年計画的ない本だった。
一年目には、業界に慣れる。
二年目には、プログラム。
3年目には、設計。
4年目には。データベース。
5年目には、ネットワーク。
と、自分で5カ年計画を立て勉強した。

これが私のベースである。
そのあとは、入社して配属された部署の先輩方がとても良い人で、プロフェッショナルなカッコ良いばかりだった。
そのような先輩に追いつけ、追い越せと頑張った。
わたしがおもうのは、就職は、どのような先輩に出会えるかが1番大切だと思う。だから、私は良い線でいようと思った。
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