システム開発体験記

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IT・テクノロジー
私は、1993年に独立系の中堅SIERに就職し、システム業界に入った。
Ses「派遣)系の会社で、私も入社足で研修後、奥薬様先に配属された。大手広告代理店の全社システムで、当時、ドコモ実績がないクラサバのシステムでWindows3.0でした。C言語プログラマとして、派遣。ただC言語は、大体分かるが、Windowsのアプリケーションをどうやって作るか、全く分からなかった。
登場企業
顧客:大手広告代理店(以下、H社)
元受け:再大手siếr(以下、N社)
私が入社した会社「J社)
このように、最終顧客から、実際に作る会まで孫受け、ひ孫受けと、無駄に何階層になってる。
とても、建築業界と似てます。
エピソード1、:配属された部署は、トラブルだらけ。
とても大きなシステムなので、十のサブシステムに分かれており、私が配属されたのは、制作チーム、
広告の制作部署が使うシステム。
受注し、見積もりし、外注に発注する。
これが全て経理に勘定科目が付いて、しゅうけいされる。経理もサブシステムになっており、経理チームが提供したモジュールを使うと、経理業務がわからなくも開発できる。
私が配属されたタイミングは、最初テスト段階で、実行ボタンを押してから、2時間動作しないと大きな問題をかかえていた。とても、実務に耐えれる状態ではなかった。クライアントサーバーシステムは、ドコモ国内では、実積がなく、どんな問題が発生するかわからなかったから、テストを急ぐも、上手く動作しないため、全然進捗が進まなかった。
それで元受けのN社は、根本から作り直す事を決断。サーバーサイドをサーバーではなく、ホストコンピュータ(大型コンピュータ)にする事を決断。元受けのN社も、作り直しの2回目は、失敗できないため、上の人達が全て入れ替わり、優秀な人が集められて、背水の神である。私つの会も、元受けN社より、精鋭を集めるように言われ、待った無しである。
そんな状態に、入社2年目の私が配属された。確かに上司の人たちは、社内でも優秀と言われてる人ばかりだった。絶対失敗しないと言われたプロマネが上手い人だったり、ただ、私の配属された制作チームの先輩方は、エンジニアとしては、優秀だが、プロマネとしては、問題がある人ばかり、間共にコミュニケーションが取れない。人は、とても良いが。攻撃されると攻撃されっぱなしの良い人ばかり。作り直史も順調に進み、テストフェーズに入った、元受けのN社の受け入れ試験。制作チームの開発したサブシステムは、バグが多く噴出した。
だからN社の部長陣に目をつけられて、制作チームだけの対策ミーティングが行われた。
「どうなってんだバグが多いし、まだ開発が終わっていないプログラムがいっぱいある!!」
NS社の気部長が
「このチームは、誰がリーダーなんだ!え加減に白!!」凄い剣幕で、我が上司のリーダーは、無言。
ずっと無言で進まない。
拉致が開かないので、私が手を挙げて、「正確な状況報告するために少しお時間をいただけないでしょうか?」と勇気を振り絞って発言。
そしたら、
「はい。分かりました。いつまでに報告してもらえますか?」

私「次の朝一には、必ず報告します。」
K部長
「良いねー。わかりました。まちます。君がリーダー?」

私「・••「無」。
これをきっかけで、私は、部長に気に入って貰う。
チームに戻って、全員を集め。
「まずは、ら開発中のプログラムと終わったプログラムを整理。終わってないプログラムは、スケジュールを提出してください。」

そのとき、弊社からも外注3社に発注。
その各社からスケジュール「出してもらい、集計して、スケジュールをN社に提出。もう。私は、泊まり、徹夜覚悟。

外注の一社のHさんがスケジュールを持ってきて、
「間に合います。」
私「前回も、そう言って遅れてるし、まだできてないしまやないでさか?今回は、大丈夫なんですか?」と詰め寄る私。
hさん「何であなたのような新人にそんな事を言われないと駄目なんですか?分かってないくせに。」

「文句があるんだったら、うちの役員のTに言ってください。」
リーダー「まーまー」。
お前がしつかりしないから、私が悪役になってんだろうがと心でおもいながら。
やっぱりスケジュールが遅れる。終わる日になっても終わらない。
私は、プログラマーの席の後ろで寝て

「できたら、起こしてください。」と強引に詰め寄る。
プログラマーも、徹夜でようやく頑張る。
私は、
k部長に。
「すいません。終わってません。プログラミングは終わってるんですが、テストがまだです。申し訳ありたせんが、正月明けまでまってもらいませんか?今、提出しても、どうせ皆んな休みで意味ないですよね。2週間待っていただければ、しっかりテストして納品します。」
と2週間の猶予をいただく。
小月明けに納品し、N社の受け入れチェックがはじまる。
綱渡りである。
このシステムは、総勢1000名のメンバーがいて、毎日朝会が50名で行われる。
朝会は、受け入れテストの状況報告と、そこで発生したバグの共有である。
ひとつひとつ発生したバグをN社から説明を受ける。
先ずは営業チームのバグ
次、製作チームのバグ

次、また製作。
はい、製作チームの代表立ってくださいと、私は立つ。とても恥ずかしい。
次、また製作。
と私のチームばかりバグが出る。

私は、チームに戻りプロクマーとバグの再現と問題を解析する。私は、ただ新人なので、プログラムは、わからないのですが、設計書は、日本語なので、分かる制作チームだけで設計書がキングファイル5冊ある。その設計書から、問題を分析し、プログラマーとそうだんしながら、原因解析を手助けする。
あんなこんな出チームのみんなでN社能受け入れ試験を乗り切る。
そのあと、結合しけん、総合試験も乗り切り。リリース日を迎える。
第一開発も合わせると10年掛のプロジェクトである。リリースで失敗するわけには、いかない。プロジェクトメンバーは、ゼマン国のH社の支店に常駐する。私は、N社に待機。
広い部屋に電話音が鳴り響く。その後、N社の社員がセンスをあおぎながら、私の方を見て、近づいてくる。
「制作ー。制作のバグかもしれないよー。」と、嫌味っぽく言われる。
私はすぐにK部長のところに行き、問題を確認し、謝罪する。
そんな緊張した、とても貴重な体験をした。

どえにか、リリースも終え、無事お客様が利用し始める。
打ち上げはN社の本社で行われる。
とても華やかで。苦労が報われる。
これが私が入社せて初めての開発である。
この時にまなんだこと、けいけんしたことが、30年経った今でも基本としてある。あと、優秀な先輩方が多かったので、学ぶことがとても多かった。それが私の根本となる。
どうにか入社一年目の私が終わらせたって事で、社内でもうわさあとなり、本社に呼び戻される。
その後は、k部長のプロジェクトに名指しで氏名されるようになる。

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