システム開発体験記 【1】

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IT・テクノロジー
【依頼】

日本国内約1,300か所の気象観測所の20年間分のデータをcdromに収めて、書籍として販売。
「問題点】
チームメンバーは、Windows.-c言語のスキル。
c言語で組むとなると、UIなども、プログラミングしなければならないので、期間も工数もかかり過ぎる。
インストーラの経験がない。
そもそも日本国内約1,300か所の気象観測所の20年間分のデータがcdromにおさまるのか?
その当時インターネットがないのてま、一度cdromで出荷したらバグ改修が難しいので、バグは許されない。
世の中にある全てのパソコンで動く事を保証しないとならない。
納期は、6ヶ月。
【開始】今回の開発言語は、c言語じゃ無理。その当時生産性の高いvbで開発する事を判断。しかし、経験者は、誰もいない。
そこで、プロジェクトメンバーの1人に神田に行って、VBの本を全て買ってくる事を指示。
そして、当然全て読んでる時間はないので、目次を全てコピーし、目次を全部読み、今回のプロジェクトにやくにたちそうなところ、生産性が上がりそうな部分を抽出

主にỦIのパネル化
インストーラー
DBアクセス
Windowsライブラリ

ライブラリを自分たちで開発する方法

こんな内容の目次を抽出し、メンバーで、担当を振り、レポートを作成し、チームメンバーに共有することにした。
あと、DBをどうするか?
通常であれば、Accessを使うが、容量は、大丈夫か?
とりあえず、作る前にデータを入れてみて、容量を測定。
やはり、Accessだと難しそう。
そこで色々と考え、1番容量が少ないだろう。テキストとすることに決定、それでも厳しいので、テキストデータを圧縮し、romに入れる

テキストデータを読み込むところは、ライブラリ化し、VBから、簡単にアクセスできるようにする。
ようやく開発方針も決まり、スケジュールが引ける状況まで持ってこれた。それぞれ、本を読んだ人が担当し、暇な人は、画面を割り振る。
スケジュールがとてもタイト。皆んな初めてため、進捗が進まない。
時間がないので、仕様を1番理解してるわたしが、結合しながら、テストを実施。72時間不眠で結合する。しかし、もうスケジュールがない。そこで私は、1計、わざと、データベースのアクセスを遅くするフラグを作る。
お客様には、遅いバージョンを見せて、データが膨大すぎて、容量が収まらないため。独自で開発する必要があり、とても納期に間に合わない事を説明。
しかし、ここからが大変。できた、実行ファイルをインストールできるようにする。しかし、その当時、CDに書き込む機械がなく、色々と調べる。当然インターネットもない。誰かが、印刷会社でCDに焼くサービスがある事を見つけ、インストーラー化されたファイルを複数枚のフロッピーに入れ、印刷会社に行き、焼いてもらう。ようやく、プロトタイプが完成。焼き上がったromをパソコンに入れ、自動的にインストールが始まるようにする。そして、インストールがおわったら、デスクトップに
ウコンを置く。ウコンのデザイン?お客様にもらう。
ウコンをクリックすると、圧縮されたテキストデータをローカルに展開する。しかし、展開に時間がきるのでインジケータを付けることになる。インジケータをつけ、また、インストーラーを作りら印刷会社に走る。これでお客様に渡すプロトができる。アプリが起動したら、製品タイトルを出したいとか、細かい要望をいただく。タイトル画像を頂き、設置→インストーラー→印刷会社。
会社のパソコンでチェック。
ようやくほぼ完全。ここからテスト。世の中のパソコンで問題無くうごくのか?その当時、Windowsは、necとat互換機の大きく分けて蓋種類ある。あとは、様々なメーカがある。全種類のパソコンを用意することは、不可能。リース会社に相談して、50台のパソコンをリースする。
テストするためにマスターCDを50枚コピーして焼いてもらう。それをリースした50台のパソコンに差し正しくインストールできる事を確認。で、実際に検索して、正しいデータが表示される事を確認。
これで、お客様にマスターを渡す。
気象庁の監修を頂くために、気象庁にマスターを渡す。お客様にもマスターを渡す。お客様は、マニュアルとパッケージを作成。
ロゴタイトル画像に日本地図を表示するのだけど、北方領土がないことが発覚、気象庁から指摘を受ける画像をあてなおして、再度インストーラを作り、50台のパソコンでテスト、丸善さんのバックアップがあったため、期日に間に合わないと流通に間に合わない。ギリギリ間に合う。
そして、丸善の書店に並ぶ、流石に感動。
製品は、これです。
『気象年表CD-ROM版 〈1〉 - アメダス2002
価格 ¥7,700(本体¥7,000)
インデックス(横浜)(2002/02発売)』
当時、月間労働時間340時間残業1403時間。が3ヶ月。
ほとんど家に帰れない。
のスケジュールが悪く、当時の役員といっぱい喧嘩しました。私が入社2年目の思い出のプロジェクトになりました。こんな苦難を乗り越えたメンバーとは、今だに仲良しです。
私のエンジニアの基礎となるプロジェクトとなりました。若輩ながら、プロマネをやらせてもらった、当時の上司に感謝します。
色々なチャレンジをしたプロジェクトでした。
教訓

プログラムを少しでも修正すると、テストは、全てやり直しになります。

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