無責任な私

記事
コラム
2023年 3月30日 木曜日

忘れられる訳が ありませんよね。

私だけの「わがまま」で
好き勝手に離婚への道を選んだ過去。

椿姫彩菜さん著
『私、男子校出身です。』を発見して
(新聞紙 広告欄掲載で)
『性同一性障害』というワードを知り
この時に初めて検索して
その意味を知る事に なりました。
それが2008年 6月以降の事。
(書籍初版発行時)

私自身が付けていたノートの
記載事項を見返してみると
この時 既に
17年間勤めていた会社を辞めていて
タクシー乗務員も辞めた後の事でした。
(私自身の記憶との齟齬が ありました。)
髪を伸ばし始めるキッカケに なりました。

既に
私の心が闇に落ち掛けて
退職・転職へと
転がり落ち始めていた頃に
後追いで
あのエッセーと出逢って
自分自身でも解明できなかった
自分自身の中の
自分自身の正体と言うモノが
『性同一性障害』なのかもしれない。
といった事に気付けたキッカケです。

私自身の闇落ちは
その後 約10年近くに及びますが、
その中で『離婚』する事は
当の妻が背中を押してくれた面もあります。

アルバイトだけでは
生活費が廻らないので
「指輪 売ったら?」と。
お互いに会話をしない夫婦でしたから
その言葉の裏に隠れた『意図』を
読み取る事が重要でした。
この時点で
妻には「離婚」の意志が
強く固まっていたんですよね。

私達の間に
そういう話し合いは無く
既成事実のように
離婚届が出されたのです。
私は喜び勇んで記載して
妻に返しました。


22歳の秋に家出をして
両親を泣かせ、
あの時
家族を捨てて
(誰も泣かなかったですが)
本当に私って
勝手気ままな
自己中心的な
自分の事しか考えない
最低な人間です。

でなければ
離婚は成立しません。
離婚が成立するという事は
誰かが「単に最低」なだけですから。

その後 私は『女装な生活』へと
身を落として行く事に なります。

2015年以降
闇から脱する事が成りましたけれど、
もう二度と
子供達に逢う事は ありません。
今の
この私の姿を見せてしまったら
子供達の立場が崩れてしまいます。


女装者
男の娘
ニューハーフ
色々と種類は あるようですが
身内に居る事がバレてしまったら
社会的な信用にまで及ぶので
会社内での立場とか
親族内での立場とか
友人内での立場とか

全ての立場を守ってあげる為には
私が
子供達の前に出ない
存在を隠す
縁を切る事でしか
誠意を表せられないんですね。
子供達に対して
何もしない事が
精一杯の誠意になります。


意見は あると思います。
でも それは
その多くの意見は
『他人事だから言える事』です。
当の本人(子供達)からすれば
「放っといて!」ですから。


だから私は
親類・親族関係の
『冠婚葬祭』には一切 近付きません。
両親の没した件でも
私は実家へも行きませんでした。
全てを弟に任せたまんまです。
無責任でしょ?

性別適合手術を受けて
性別を変えてしまって
「受け入れて下さい。」と言えますか?
大切なモノを手に入れる為には
それと同じくらいに大切なモノを
ドブに捨てなければ
手に入らないんですよ。
両方を手に入れる 
なんて事は成り立ちませんから。


だから 
安易な考え
浅い考え
甘い考え
薄っぺらい覚悟で
『こちら側の世界』へ来ないで欲しい。

全てを捨てる覚悟がなければ
気持ちに負けてしまい
生涯を
後悔し続けてしまって
結局は『自死』を選んでしまう現実が
待ち受けてしまいます。
そういう人は多いんですよ。

だから私は表に立ち
講演会を成し遂げたいと思う訳で
少しだけでも
被害者を減らせる策に なるだろう と。


そうは言っても
やはり
子供達の事を忘れられる訳が
無いじゃないですか。

今日は 下の子の「お誕生日」
平成三年 三月三十日生まれよ。
今年で幾つよ?
西暦変換が出来ないから
年齢が計算出来ません。

上の子は
昭和62年 11月5日生まれ。
こちらも
西暦変換が出来ないから
年齢が計算出来ないの。

二人共に三十路を越えて
パートナー 居るでしょうよ。
知らんけど。

二人共
パートナーに対して
私(父)は
死んだ事にでも なってるのかな?
だって
結婚式とか挙げていたのなら
父親席が空席な訳だから・・。

なんと説明するの?
既に
私の戸籍で
私の性別は『女』
それが いつ どんな風に
誰の手で『バレちゃうの?』
今は それが唯一の不安です。

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