厄年と思うことにする?今年の悲劇 第1弾・・3月骨折

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大変ご無沙汰しております。
ゆずです。
2月13日から有料サイトを本格的に始め、予約スケジュールなる物を作成し、より相談にみなさまが来やすいようにと、ブログも書き始めるぞぉ!!と大いなる期待をもちながらの日々でした。

そして3月26日
息子夫婦のところに遊びに行ってました。
時間は20時前
息子夫婦の案内で、大きなモールで夕飯を取ろうと雨上がりの屋外のエスカレータを降りました。
右足にちょうど雨上がりの水たまりが・・・
運悪くそこで、私は滑りました。
でかいからだが宙を舞います。
この時、空っぽの頭で考えました。
このままこけたら、顔面を強打する!もしくは首が曲がる・・・・。

私はとっさに、子猫のように(実際にはどらねこよりもでかいむしろトトロぐらいの大きさ)くるっと左に回転。

ズドドドドーーーーン
と、左肩から落ちていきました。

まるで時計が止まっているような感覚でもありました。
気がつけば巨体がエスカレーターの少し先で転がってます。
夫や息子たちは、恥ずかしさもあって起こそうとするのですが・・・。
私は、あまりの痛さに立ち上がれません。
左手が自分の手でないようなぶらんとさがったまま状態。

私的には動けそうにないので救急車を・・・と思っていたのですが、息子曰く「意識もあるし、救急車はそうそう呼ぶものではない!」とカツを入れられ、
#7119へ息子が電話。
指示を仰ぎ、近くで見てくれそうな整形外科を探し出しました。
そして、私はそれまでにどうにか起き上がり近くの椅子に座ることまではできていたのですが、いかんせん左腕がぶらぶら状態で、立ち上がることも困難。

それでも、息子から「この怪我では自分で病院です」と言われて悲鳴を上げなから息子の車へ逆戻り。
その間も、元来た道しか頭にない私は、痛い左手をつかってエスカレータにのろうとして、左手がガガガ――っとエスカレーターの手すりに当たり、またまた悲鳴。エスカレーターすら登れないと気がつき、子とも立ちに誘導されて、エレベーターへ。
一歩歩くたびに、左全体が痛く、どう歩いて行ったのかもすら今となっては覚えてません。

どうにか斜めの状態で車の後部座席位に乗り、シートベルトもどうやってやったのかもわからず、目的地の整形外科へ。
入り口がわからず、病院の周りを歩いたのですが、その時も時々意識が飛ぶ。
さんざんたる思いで、病院に入りレントゲン室へ。

手慣れているのか、手慣れてないのか、わからないくらいにレントゲン室ではブラブラになっている手の向きを変えてだの挙げてだの言われて取れた写真は3枚。診察で見せられた写真は2枚。
そう、レントゲンを撮る度にかろうじてくっついていた骨は離れて行っていたのでした。(後日3枚目を同じ病院でみせられたときは、唖然としました。その3枚目の写真は、地元に帰ったら診断書の資料から削除されてました)
その撮影の間の断末魔は家族が廊下で聴いておりました。
いまならはっきりと言えます。
あの時に確実に折れたと・・・・。そして骨が右左に離れたと・・・
亜脱臼もそこで起きました。わからないとはいえ折れている手を自力であげさせるのは普通なのだろうかと今でも疑問です。

そのような経緯によって、左腕上腕骨折(完全に上下に離れていました)となりました。地元に帰るまでの1週間の間、息子夫婦の献身的なお世話により、三角巾とバストベルトによって、ものすごくずれていた骨はほぼ良い位置に戻っておりました。なので地元に帰ったら、医師から「手術はしないでこのまま自然治癒をまちましょう」ということになったわけです。

自然治癒の期間は3ヶ月・・・今7月21日ですが、いまだ持ってくっついていない箇所があります。4か月過ぎても治癒しておりません。ひとまず車の運転はできるようになりましたが、肩が痛いのと折れた付近の筋肉がほぼなくなってしまったために力がでかいなど、多くの後遺症が残っています。

そんなわけで、せっかく始めたココナラが、とん挫してはや5ヶ月が経ちました。

その間、リピーターさんが電話相談1回とコメント相談2回受けてくださいました。有難く思います。ようやく、パソコンに向かってキーボードも打てるようになったので、近況報告を兼ねてブログを更新いたしました。

慌てて書いておりますので、説明不足もかなりある事と思います。それでも、ここまで読んでくださった方々。ありがとうございます。

もう一つ記事があります 次回はコロナなりです 
続く
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