第31回「音屋のkatsu」の音楽あるある〜最後の武者修行編②〜

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コラム
「手合わせ」と言う名での「殺戮の宴」は瞬く間に周りに広がりました。

「すごいバンドが生まれそうだ。」

「当の本人」である私も、バンド結成が楽しみでした。

当然、私側のミュージシャンからも声が届きます。
「何か、すごいバンド出来そうなんだって?よかったな?」

あんな「爆発」実験(セッション)とは言え、本物の「爆弾」なら
間違いなく大学一つ吹き飛ぶ程の「爆発力」を持っていました。

「根拠のない自信」ではなく「確実に人を殺せる兵器」の一員になった私。

今まで「音楽」って「楽しく、気が通った仲間で笑ってするもの。」
と思っていましたが、まさかあんな「兵器転用」が可能だったとは私も
考えても見ない事でした。

バンドの編成は
ギター・ボーカル
ベース・コーラス
ドラム・コーラス
3人の俗に言う「スリーピース」。
ジャンルはボーカル「H」の好きな「オルタナティブ/グランジロック」系。

「殺伐とした楽曲の中に、刹那的な愛が垣間見れるバンド」
一言で言うとそんな感じのバンドでした。

就職先も辞め、彼女にも事情を説明し、別れたいなら別れようと告げました。
ですが彼女は別れようとはしませんでした。
「また、前みたいに離れ離れになるけど。あと一年したらそっちに就職しに
行くからお互いに頑張ろう。」
そんな感じで収まりました。

「H」も大学を辞め、本気で「プロ」を目指すとの事。
しかしベースの「K」は…
K:「俺はこっちでのんびりやってるわ。」
と、あっさり断る始末。
(まぁ、後に合流するのですが)

とりあえず、私は「H」と三度目の上京をする準備をしました。
「これが、本当に最後のチャンスだ。絶対にのがさんぞ。」

後に周りに言われた事ですが、この時の私はとてもじゃないが近づけない程の
「殺気」に満ち溢れていたと言われます。
誰に対する「殺気」ではありません。他ならぬ「自分」への「殺気」でした。

日常も、恋愛も、仕事も、お金も、常識も、
私のような「小物」が成り上がるにはその一切を捨てる「覚悟と行動」が
無いと「プロ」への道はかけ上げれない。

それは今でもそう思います。

音屋の〜青年、24歳の「最後の武者修行の旅」が始まる時のお話でした。


音屋のkatsu

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