ひめちゃんブログ#24 笑うしかない悲しい出来事

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ひめちゃんブログを毎日読んでくださっている皆様に
本日は笑うしかない悲しい出来事があったことを
報告します!

現在午前3時30分です!
今までさんざん記事を書いていたにも関わらず
全部消えてなくなりました(笑)

と言う事で今日私が話そうとしていた
「ココナラ電話相談」という話は今日はなくなりました😭

何の話もないのも悲しいのでな
「何もなくなった」で検索をかけてみました!

ちょっとためになる記事が沢山ありました!

何もないと感じるのは甘え

「私には特別な資格も才能もないし・・・」
「せめて占いが出来るとか・・・WEBの能力があるとか・・
イラストが描けるとか…何もない・・」

甘えだそうです(笑)
結局「そんなことないよ」って言って欲しいだけの
甘えたセリフでしかないとgoogle検索に言われました😅
ですよね・・・
人間は大半はそうなんです

どうしてそんな風に思ってしまうかと言うと
理由3つ
1.自分の本当の価値が分かっていない

本当は何かの役に立っていて私しか果たしていない役目があるのです


2.愛してもないし、愛されてもいない

家族でもペットでもくそ男でも誰かを本気で
愛していたらそう思わないのです。

3.実際に何もない

それならしっかりと自分で「何もない」ことを認め、成長する機会として自分を見つめなおす!

何もなくても人間はどこでどうなるかわからないのです

これは山下誠二さんがいつも言っている言葉です

人間万事塞翁が馬
にんげんばんじさいおうがうま

昔、中国の占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、逃げてしまいました。
人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。
やがて、その馬は友達の馬を連れて戻ってきたのです


その後老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。
戻ってきた馬のせいで息子がけがを!!

一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死た。
しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に由来する。

人間は「じんかん」とも読み、「人類」ではなく「世間」を意味する。


人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。

と言う事であしたはもっといい記事が書けると思います!

ここまで読んで頂きありがとうございました

本日も皆様に良い日でありますように


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