波乱万丈

記事
ビジネス・マーケティング
・専門学校卒業後、現パナソニックの販売代理店に就職した。

・手形が不渡りになった事が切っ掛けになり3年経過した頃から転職を考え始めた。

・同僚に相談したらもう少し継続したらと諭され、自分の中でも具体的にやりたいことが固まっていなかったので思いとどまった。

・手形2回目の不渡りを経験しかつ、プログラマになりたいとの思いから、会社の上司、専務、社長にも説得頂いたが、結論として転職を決めた。

・小さなソフト開発もやっている会社に転職。この時の上司との出会いは良かった。初めてのコンピュータとの出会いだった。結婚もした。

・順調にソフトウエア開発の仕事に慣れ、時代背景にも恵まれ、コンピュータ産業の市場拡大にも助けられSEと呼ばれる迄になったが、
バブル崩壊の影響をもろに受け会社が倒産。当時リクルート勧誘も行っていたので、多方面に迷惑をかけた。
 サラリーマンで給与支払いが滞る悲惨さを経験した。

・所属していた会社とは異なる別会社を創ることになったが、その誘いを断り別のソフト開発会社に転職。
 結局ここもバブル崩壊の余波で2年足らずで倒産。妻と子供3人を抱え経済的にとても辛かった。

・最初の転職で営業的には中途半端な経験しかないという思いと、ソフト開発の経験も活かせるとの考えから、
 パッケージソフト業界の販売に飛び込んだ。結局この業界との付き合いが定年まで続くこととなった。

・転職したのはソフト開発を行っている会社であったが、扱うパッケージソフトの代理店業務を行う部署に入った。
そのパッケージソフト開発元会社は関東の会社だったが、関西に拠点を築きたいとの理由から進出した。
給与額で決めたのではなく、あくまでも自分の経験も活かせるその点を第一に考えた結果だった。
後で分かったことだが、給与はかなり低く抑えられていた。

・関西に拠点を築くと言えば聞こえは良いが、当にゼロからの出発だったので、やることは新規先を獲得するための飛び込み営業であった。
 入った会社とパッケージソフト開発元会社は時間が経過するに伴い、実績が思うように伸びないことから次第に方針で対立した。
 開発元会社は直接自社で拠点を創る方針になり、私が所属していた会社は代理店業務を辞めることになった。

・事の成り行きで開発元会社に移り、拠点とする場所探しから携わり、平成18年には、年間利益1億円を稼げるまでに成長した。
 そして、九州エリアまでその拠点を拡げることに成功し、個人的には西日本統括という立場迄上り詰めた。

・2014年には関西の一部上場会社と合併し、定年時には有難い事にお得意先からも惜しまれながら退職できたのである。
 同僚からも羨ましがられたのが誇りである。

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