読み切り超短編小説「その客人が来ると、父は機嫌が良かった」

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その客人が家に来ると、父はいつも機嫌が良かった。
「慎太郎、お茶を入れてくれ」
「慎太郎、タバコ買ってきてくれ」
普段あまり父とは会話がなかったが、その客人が来たときはニコニコしながら私に用事を頼むことが多かった。

 父の職場の周りの人たちはほとんどが中卒か高卒であった。父は高校中退してその職場に入った。学歴は全く関係なく実力さえあればのし上がれる職場だった。父はちょっと変わりもので、言いたいことを言う性格だったので、先輩からもお前なんかやめっちまえと言われることが多かった。

 職場の人たちとはあまり付き合いがなく、友人も少なかったが唯一付き合いのあったのが父より3歳年上の客人だった。有名国立大学を卒業して、家柄もよく父とは少し住む世界が違うような気がしていたが、偶然父の仕事ぶりを見ることがあり、父の才能にほれ込んだらしい。
 父もこの客人を尊敬しており普段は年上だろうがため口を使う父が、この客人に対してはぞんざいな言い回しの中にも敬意の念を抱くことが多かった。

 父は重い病気でもう長くはなかった、それでも生来の仕事好きの父は体の動く限り職場に顔を出した。
父が仕事に手を付けた。
「耳が聞こえにくくなった患者が、病院に行きました。
『先生、最近耳が聞こえにくくて困っているんです、自分のオナラの音も聞こえないくらいで。』
『それはお困りですね、ではお薬を出しておきましょう。』
『耳が良く聞こえるようになる薬ですか?』
『いえ、オナラの音が大きくなるお薬です。』
 爆笑 


数年後
某テレビ番組の収録
中年の司会者が口を開いた。
「名前についてエピソードがあるらしいですね。」
「はい、父は長いこと私を『慎太郎』と名付けたのは石原さんを呼び捨てにできるからだと言っていて、私もそれを信じていました。大人になってから『陸援隊の中岡慎太郎からとったんだ』と明かされて、なあんだと思いましたよ(笑)」

 北条政子に似たアシスタントが聞いてきた。
「落語をするときは、オナラに関係したまくらを使うことが度々あったそうですね。」
「そうなんです、父が好きな話の中のひとつに江戸時代に屁負比丘尼(へおいびくに)という仕事がありいつもお姫様にお供をして、お姫様がオナラをした時に、…」
そこまで私が言うと

「大変興味深いのですが、きょうはお時間の都合でその話はまた機会があれば…」北条政子が慌ててボクの話を遮った。
フロアーでインカムをつけた若い男性が右手の人差し指をグルグル回していた。 トンボを捕まえようとしていたわけではなさそうだ。

 私は照れ笑いをしながら父から譲り受けた扇子で顔に風を送った。
国宝になるから大事にしておけと言われて渡された扇子には
「天才 立川談志へ     石原慎太郎」 と書かれていた。



※この作品はフィクションです。登場する人物団体は実在するものと一切関係ありません。
※出典 『作家と家元』(立川談志・著。中公文庫)巻末インタビュー

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