「家族」日本大学芸術学部・映画学科(映像表現・理論,監督,撮影・録音)2020年度

記事
学び

(1)問題


次の文章を読み,あなたの考えを述べなさい。

① 最近,「日本の伝統的な家族が崩壊しつつある」という話が政界やメディアでまことしやかに語られるのをよく目にします。その時に壊れていない家族像として持ち出されるのが「一家団欒の食卓」です。

② 食文化史の研究によれば,戦前のマナーは「食事中の会話禁止」でした。家長である父親を筆頭とする序列の下で,現在の私たちが思い描く団欒の光景からはほど遠かったことが分かっています。

③ この「食卓を囲む家族」像が形成されたのは1960年代の高度成長期.「サラリーマンの夫に専業主婦と子ども」というモデルが広まってからではないでしょうか。ただそれが続いたのも20年ほどで,共働き家庭が当たり前になった現在は,家族全員で毎晩食卓を囲むという風景はもはや幻想になりつつあります。

④ つまり,日本の伝統的家族の象徴としてずっと続いてきたかのように語られる「団欒の食卓」のイメージは,歴史的にごく限られた時期に成立したものなのです。もっとも当時も,森田芳光監督の映画「家族ゲーム」のように黙々と食事する家庭が増えていたかもしれませんが。

⑤ 日本にはほかにも「食事は手作りで」とか「夫婦は同姓」「夫が主な稼ぎ手」「両親の面倒は家族でみる」などの家族の規範が多くあります。

⑥ こうした規範も,家族形態の歴史的な変化をたどると大昔から一貫しているように思えません。それより影響が大きかったのは,国が政策的に形成してきた日本的家族のモデルです。近年,「自助」を重要視して福祉の切り捨てを肯定する政策の高まりは,家族に多くの責任を押し付け,悲劇を生んできました。

⑦ もう一つは「子育て」や「しつけ」などで,自分が育った時代の家族体験を絶対化して,モデルとしてしまうことです。社会状況は大きく変わったのに,郷愁とともに自らの体験や記憶を美化し,規範にしてしまうのです。

⑧ こうした理想像に縛られ,生きづらさを感じる人は多いと思います。事実婚で子どものいない私たち夫婦も,親族や世間のプレッシャーに息苦しさを覚えたことがありました。「子どもにコンビニ弁当を食べさせた」といったささいなことで,理想の家族像を再現できていないことに悩むお母さんたちもいます。

⑨ 他人がどう生きようと自分は関係ないのに,選択的夫婦別姓に反対したり,専業主婦という選択を理解しょうとしなかったり。こと家族に関しては,自身の内なる理想像を物差しとして見てしまう人が日本は多いように感じます。「家族はこうあるべきだ」とぃう理想で自分や家族,誰かを縛るよりも自分の家族はどうありたいか,ライフステージの各段階で自問した方が気持ちも楽になると思います。
(早川タダノリ朝日新聞2019年9月25日朝刊)※題名欄には題名を記入すること.
※字数800字

(2)考え方とヒント


(1)家族の変化について考えて書く。

① 家族の形態の変化

・拡大家族から核家族へ
拡大家族…子供が結婚後も両親と同居し複数の核家族から成る家族
核家族…両親と未婚の子供から成る家族

・家族の機能の変化 

 かつて:
生産・消費(経済的機能)、夫婦の愛の醸成(家族の始まり、基本的な機能)、子どものしつけや養育(教育的機能)、文化や技術の継承(文化的機能)、炊事・洗濯・掃除(生活的機能)、介護・看護(医療・福祉的機能)
 休息・休養・娯楽(保養・リクリエーション的機能)

 現在:
 かつての家族の機能の大部分が外部化され、消費や夫婦の愛の醸成、子どものしつけや養育の一部しか残らなくなった。

 外部化の例:
 生産→企業での労働、子どものしつけや養育→塾や学校、炊事→外食・中食、休息・休養・娯楽→エンタメ産業

(2)多様化する家族

① 夫婦別姓

② 同性婚

③ DINKS…結婚後、子供を持たずに、夫婦とも職業活動に従事するライフスタイル。狭義には、意識的に子供を持たない共働き夫婦

(3)家族の抱える問題

①相対的貧困
相対的貧困率と|ま,世帯の所得が,その国の「等価可処分所得(収入から税金や社会保険料を引いた実質手取り分の収入)を世帯人数の平方程で割って調整したな中央値の半分に満たない状態。2022年の日本の相対的貧困率は約16%。

② 児童虐待

③ 4070(5080)問題…40代50代の子供が引きこもり、70代80代と高齢になった親に依存する状態。親は自分が亡くなった後、誰が子どもの面倒を見るかと悩み、切迫した状況になっている。

一家団欒.png



(3)解答例


「性や家族はこれが当たり前」は当たり前じゃない
  家族の形態は近年、大きく変化した。かつての拡大家族から核家族へ。一人暮らしの単身世帯も増加した。さらには、子どもを意図的に作らない夫婦、DlNKSも増えてきている。近年では性的多様性も一般化し、海外では同性婚を認める国も現われ、日本でもパートナーシップ制度を導入する自治体も出てきた。これらは、東京の一極集中を初めとした都市化や高齢化などの様々な社会構造の変化に伴う人々の意識のありようが表れている。

このような変化に対して変わらないものもある。海外では制度化された夫婦別姓は日本だけはその実現が遅れている。結婚をめぐる日本人の価値観は旧態依然ということがその背景として挙げられる。たとえば、未婚の母は世間からは歓迎されず、未婚の女性が妊娠したら、堕胎を勧めるか、半ば強制的に結婚するように周囲が当人たちを仕向ける(「できちゃった婚」)。また、離婚経験も人生の失敗経験として周囲から差別的な視線を向けられ、特に女性の離婚はスティグマ化される。

 それというのも、日本の社会保障や雇用、税制ではシングルマザーは極めて不利に設定され、子どもを抱えた女性がひとりで生きにくい環境となっている。こうした状況のなか、DVや相対的貧困といった社会問題が起こっている。要は「夫婦そろって子どもを育てるが当たり前」というイデオロギーの下、核家族を単位として政治や経済が整えられ、このモデルから外れた人々は生きづらさを抱えて一生を送らなければならない。性や家族の多様性が顕在化した現代社会において、法制度や社会経済もこれに対応した柔軟性をもたせることで人々が安心て暮らすことができるようになるのではないか。そのためには、性や家族について私たちが持つ規範的な考え方を改めなければならない。
(730字)

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