「マイノリティと社会の多様性」広島市立大学国際学部2018年

記事
学び

 (1)問題


① セクシュアルマイノリティ(性的少数者,性的マイノリティ)について学問する,ということの意義をきちんと確認しておくことはとても重要です。学問という言葉が敷居を高くするなら,「知識を増やし,それらを常にさまざまな観点から吟味し続けていくこと」と言い換えてもよいかもしれません。ここでは,差別に対する知識の観点からのアプローチの重要性,差別をどう考えるかについての知の蓄積の有効性,性の知的な探求そのものの魅力という観点から,この意義を説明します。

② セクシュアルマイノリティとは,社会の想定する「普通」からはじき出されてしまう性のあり方を生きる人々のことです。少し硬い表現ですが,研究者は「非規範的」な性を生きる人々,という表現を使ったりもします。「規範(norm)」から派生した言葉が「普通(normal)」ですから,確かに「非規範的」=「普通でない(とされる)」と言い換えられます(筆者の私が普通でないと考えているのではなく,社会が普通でないと考えていることがわかるよう,「普通」とカギ括弧つきで表記しています)。

③ したがって,セクシュアルマイノリティとは「普通」の性を生きろという圧力によって傷つく人々,と言い換えることができます。「普通」であることを押しつけられ望まぬ生き方を強いられたり,あるいは「普通」でないことをもってからかいや排除の対象となる人々と言ってもよいでしょう。(a)このような「普通」という暴力を, 差別と言い換えることもできます。

④ そして残念なことに,2017年現在,日本(あるいは世界)におけるセクシュアルマイノリティに対する差別は依然として根強いと言わざるを得ません。「普通」の性を生きろという圧力は,今も多くのセクシュアルマイノリティを傷つけ続けているのです。したがって,「普通」という暴力を解除できないアプローチは,そもそもセクシュアルマイノリティについてのアプローチとしては不適格,ということになります。

⑤ ところが,「普通」という暴力の問題を取り扱うにあたって,学問というアプローチは一見それほど有効ではありません。政治や社会運動と比べて,「象牙の塔」という比喩でその開鎖性を揶揄(やゆ)(注1)されることもある学問の領域が,直接「世の中をよくする」介入を不得意とすることは事実です。また,医療従事者や心理カウンセラーのように困っているセクシュアルマイノリティ当事者を直接支えるといったこともできません。学問は,介入や援助の技法ではなく,知識を扱う領域だからです(各種の技法もまた実践に関する知識と言えなくもないのですが,ここでは単純に技法と知識を対比させておきます)。

⑥ したがって,「普通」という暴力に対するアプローチとして学問が意義を持つと主張するためには,学問が扱うことを得意とする知識こそが「普通」という暴力を解除する鍵になると指摘する必要があります。言い換えれば,多様な性に関して,「世の中をよくすることやそれぞれの人々の生を支えることは,知識という基盤がなければ不十分である」と主張できなければなりません。

⑦ しかし,多くの人は,暴力や差別は知識ではなく「良心」や「道徳」で防ぐものだ,というイメージを持っています。暴力や差別は他者への悪意を持つ人がおこなうものなので,悪意を持たないようにする。させることが重要だと考えているのです。もっと簡単な表現を用いれば,暴力や差別は「悪い人」がすることなので,みんなが「よい人」になればよい,と思っているわけです。たしかに,小学校や中学校で「差別をなくすために,他者に対する思いやりのある人になりましょう」と教育されることはあっても,「差別をなくすために,賢い人間になりましょう」とはほとんど言われません。ということはやはり暴力や差別の解消に必要なのは,「良心」や「道徳」であって,知識ではないのでしょうか? 

⑧ この問いに答えるために,「オネエキャラ」をめぐる私の授業の受講生の反応をとりあげます。「良心」や「道徳」を育むことに依存して「普通」という暴力を解決しようとすることは,不十分であったり意味がなかったりするだけではなく,時に逆効果でもあることが明らかになるはずです。

⑨ 2017年現在,テレビを中心としたメディアの中で「オネエキャラ」が一定の存在感を放っていることを,受講生のほとんどが好意的に捉えています(私の授業を消極的にであれ「好んで」履修している学生が多いので,当然といえば当然ですが)。「アイデンティティ」の存在感がセクシュアルマイノリティヘの差別を減らすと期待している学生も多くいます。

⑩ もちろん多くの学生は,そのような「キャラクター」がメディアの中でからかいの対象となっていることにも気づいており,視聴者の差別意識を助長しかねないことも危惧しています。期末試験で「アイデンティティ」ブームの「功罪」について出題した際も,多くの学生は差別に関する両義的な側面をうまく指摘していました。

⑪ 一方で,自分の持つ好意に対して「『オネエ』は才能やセンスがあるから好感が持てる」という理由づけをしている学生が多くいました。(b)これはかなりの問題です。たしかに,メディアに現れる「アイデンティティ」は,ファッションやメイク,フラワーアレンジメントやダンス,あるいは話術などの一芸に秀でた人々が多いのは事実ですし,その才能やセンスの素晴らしさは,視聴するセクシュアルマイノリティ当事者(とくに若者など,アイデンティティの自己肯定の機会が奪われやすい人々)を自己卑下から救うことができるかもしれません。しかし,あれほどまでに才能に秀でていないと「受け入れられず」,さらにそれでもからかいの対象になってしまうとすれば,高水準の才能やセンスを持たない大多数のセクシュアルマイノリティは,むしろ自らがただ全面的にからかわれ差別される対象でしかない,と確信してしまうこともありえます。

⑫ 当たり前のことですが,「オネエ」だから高水準の才能やセンスがあるのではありません。ですから,「『オネエ』は才能やセンスがあるから好感が持てる」は,才能やセンスのない「オネエ」には好感が持てません,と宣言しているにすぎません。セクシュアルマイノリティに対する差別の根強い社会においては,表向きの好感とその背後の偏見の落差は,具体的なセクシュアルマイノリティの当事者に対する差別の解消に役立つことはほとんどなく,場合によってはさらに傷つけかねません。なぜなら,このような人々は「オネエ」を褒めているようで結局「オネエ」は「普通」ではない,ということを繰り返し述べているにすぎないからです。「普通」という暴力は少しも解除されていません。

⑬ 実際,セクシュアルマイノリティ当事者の中には,このような才能とセンスの押しつけに嫌気がさしている人も多く存在します。例えば,「オネエはセンスがあるのでそういう友達がほしい」という理由で誰かが近づいてきたら,「私を利用する気満々のあなたに差し出してやるセンスなどない」と拒絶したくなるものです。実は「オネエ(あるいはセクシュアルマイノリティ)はセンスがあるので,そういう人と友達になるため」という理由で私の授業を受講する学生も稀にいるのです。そういう人には「授業にそんなことを期待すべきではなく,またそもそもマイノリティはあなたの人生を豊かに彩るアクセサリーではない」ときつく諭すことにしています。「アクセサリー」扱いはそもそも相手を対等な人間として見ていない差別的なふるまいだからです。男性が妻の魅力を自らの高いステイタスゆえの「戦利品」だとみなしモノのように自慢すること(「トロフィーワイフ」と呼ばれます)に,私たちはもう十分辟易(へきえき)(注2)しているはずです。それと同型の「モノ」扱いをセクシュアルマイノリティに対しておこなうことも,また許されるはずがありません。

⑭ ただし,ここで私は,「オネエ」あるいはセクシュアルマイノリティは,マジョリティと同じ「普通」の人々である,と指摘したいわけではありません。マイノリティもマジョリティと同じく「普通」の人々であるから差別してはいけない,という論理は,「普通」でないなら差別をしてもよい,の言い換えに過ぎないからです。

⑮ むしろ重要なのは,「普通であるか否か」を判断し,そこに意味づけをするのがマジョリティの側,という事態そのものが不当なのだという認識です。「普通じゃないから好感が持てる」も「普通だから好感が持てる」も,意味づけが一方的である点で「普通じゃないから見下してもよい」「普通に過ぎないから見下してもよい」と大差ないのです。

⑯ さらに付け加えなければならないのは,このような一方的な意味づけは,そもそもセクシュアルマイノリティについて知ることなしにおこなわれるということです。ここまで私がずっと意図的に曖味なままにしてきた「オネエ」という言葉の用いられ方がまさにそのことを示しています。「オネエ」という言葉はそもそもどんな人を指すのでしょう。自身の望む性別である女性に身体が合致するようになんらかの医療的処置を受けている人,恋愛の対象が同性の男性,女性の恰好をすることによって安心感を得る男性,それとも言葉遣いが「女らしい」異性愛男性でしょうか。実際はいずれでもありえますし,いずれであるのかの違いはかなり大きいのですが,残念ながらその違いを理解している人は少ないのが現状です。

⑰ セクシュアルマイノリティに対する無知が許されてしまっている状況は,「オネエ」という言葉一つとっても明らかです。私の授業ではかなり詳しくその違いを説明するので,先に話題にした学期末試験では「アイデンティティ・ブームの「罪」として「セクシュアルマイノリティの間の違いを暴力的に無視している」と指摘する答案にも多く出会いました。しかし他方では,まさにそのセクシュアルマイノリティの間の違いを全く把握していない答案も,残念ながら若干数存在していました。セクシュアルマイノリティに対する無知に基づく一方的な(仮に肯定的なものであるにせよ)意味づけが批判されるべきなのは,単に知らないだけでなく,積極的に知らないままにしておこう,多様な性の正確な把握に踏み込まないようにしようという欲望に裏打ちされているからです。表向きの好感の背後で「自分とは関係のない,よくわからない人たち」という感覚を手放そうとしない欺瞞(ぎまん)(注3),とも言えるかもしれません。出典:森山至貴『LGBTを読みとく―クィア・スタディーズ入門』(ちくま新書,2017年)より抜粋。必要に応じて表現などを変えてある。
(注1)揶揄:からかうこと。
(注2)辟易:うんざりすること。
(注3)欺隔:あざむくこと。だますこと。

問1 下線部(a)について,「このような「普通」という暴力」は具体的にどのような暴力を指していますか。本文にそくして70字以内で答えなさい。

問2 下線部(b)「これはかなりの問題です」について次の問いに答えなさい。
(1)「これ」は何を指していますか。50字以内で答えなさい。
(2)著者がそのことを「かなりの問題です」と考えるのはなぜですか。その理由を本文にそくして250字以内で答えなさい。

問3 著者は「「普通」という暴力」をマイノリティに対する差別ととらえて,その解除のためには「良心」や「道徳」ではなく知識を重視するアプローチが有効だと考えています。その立場からすると,セクシュアルマイノリティに対する差別が解消されない根本的な原因はどこにありますか。本文にそくして200字以内で答えなさい。

問4 現代社会に,「普通」であることを押しつけるどのような暴力がありますか。そして,それに対してどのような取り組みが必要ですか。本文以外の具体例を一つ挙げ,あなたの考えを400字以内で述べなさい。

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(2)解答例


問1
セクシュアルマイノリティに対し「普通」の性を生きろと圧力をかけ「普通」であることを押しつけ望まぬ生き方を強いからかい、排除して差別すること。(70字)

問2
 (1)『オネエ』は才能やセンスがあるから好感が持てる」という理由づけをしている学生が多くいること。(46字)
 (2)『オネエ』は才能やセンスがあるから好感が持てる、という理由づけは高水準の才能やセンスを持たないと「受け入れられず」それでもからかいの対象になってしまうとすれば,これを持たない大多数のセクシュアルマイノリティは全面的にからかわれ差別される対象でしかない。このような言説は才能やセンスのない「オネエ」には好感が持てないと宣言しているにすぎず、このような人々は「オネエ」を褒めているようで結局「オネエ」は「普通」ではないことを繰り返し述べているにすぎず、「普通」という暴力は少しも解除されていないから。(248字)

問3
「普通であるか否か」を判断しそこに意味づけをするのがマジョリティの側であり、このような一方的な価値判断は不当である。このような判断はこの人たちの違いを把握しない無知に基づいている。これは積極的に知らないままにしておこう、多様な性の正確な把握に踏み込まないようにしようという欲望に裏打ちされており、表向きの好感の背後で「自分とは関係のない、よくわからない人たち」という感覚を手放そうとしない欺瞞がある。(200字)

問4
 生業を持って働き、人並みに税金を納めて国民の義務を果たすことが「普通」であるという一方的な価値判断に基づいて、このような「普通」の条件に当てはまらない障がい者を「普通でない」とみなし、「普通」の国民として自立を促すといった、「普通」であることを押しつける政策を暴力と考える。
 社会参加の形は賃労働だけにあるのではない。ボランティアや趣味を通して仲間とつながる活動、地域の課題を共に考え解決の道筋を模索する活動など様々である。
 障がい者などの社会的弱者に対する福祉の目的は、このような人々に対する差別や社会的排除をなくすことにある。
 「普通の暮らし」の定義を国やマジョリティの側から下すのではなく、マイノリティの側から「仕事」や「生活」のQOLを捉え返す試みを続けることによって、本当の意味のノーマライゼーションが社会に実現されると考える。(384字)

(3)お知らせ


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OK小論文 塾長 朝田隆


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