【互酬経済】慶應義塾大学文学部2017年

記事
学び

(1)問題


次の文章を読み、設問に答えなさい。

① わたしがLiving for Today なるものに学術的な関心を抱いたきっかけは、二〇一三年に一二月に故人となった京都大学名誉教授の掛谷誠先生の講義だった。掛谷は、一九七〇年代初頭にタンザニアの焼畑農耕民トングウェ人の生計経済を調査し、彼らの生計維持のしくみを、「最少生計努力」と「食物の平均化の二つの傾向性を切り口にして論じた。四〇年以上も前の論文だが、いろいろな意味でわたしの心に強く残ったものなので、少し詳しく紹介したい。

② トングウェ人は、タンガニーカ湖の東岸部から東へと広がる乾燥疎開林に暮らす農耕民である。掛谷が調査に入った一九七〇年代当時は、いまだ現金経済はあまり浸透しておらず、トングウェ人は焼畑農耕、狩猟、漁撈、蜂蜜採集など自然に大きく依存した生業によって、基本的に自給自足の生活を送っていた。掛谷はトングウェ人の生業を綿密に調査し、彼らが年間の推定消費量ぎりぎりしか主食作物を生産していないことを明らかにする。さらにトングウェ人は、森林と森林後退後の二次性草原だけを開墾し、広大な熱帯降雨林やサバンナを農耕の対象とはしていないことや、どのような食べ物が好きかにかかわらず、いちばん手近で簡単に入手できる食糧資源に強く依存する傾向があることも明らかにする。

③「トングウェ人は、できるだけ少ない努力で暮らしを成り立たせようとしている」という掛谷の発見は、当時のわたしには衝撃だった。物心がついた頃から「努力」とは最大限にするものであり、努力に「最少の」がつくのは、なんだか語義矛盾に思えたのだ。

④最少生計努力の原則は、トングウェ人たちに自然の改変を最小限にとどめ、原野の自然と共存しながら暮らすことを可能にしていた。挨拶に長い時間をかけ、近隣の村々をぶらぶら訪ね歩くことを楽しみとしている人びとの暮らしは、どれだけ多くを生産できるかを競い合いながら、日々の生活に追い詰められているわたしたちの資本主義社会とはまったく異なる世界に思えたものだ。

⑤ しかし講義を聞くうちに、長閑(のどか)な農村はおどろおどろしい世界に一変する。掛谷は最少生計努力を、自然とともにのんびりと暮らす生
き方としてではなく、社会を生きる上で誰しもが抱くだろう人間の基本的な感情――嫉姑やうらみ――と、それに起因する呪いに光をあてて説明したのだ。

 ⑥ 掛谷がまず示したことは、トングウェ人は、集落の住民が食べられるだけの食糧しか生産しないにもかかわらず、集落を訪れる客人を
もてなすために、生産した食糧の四○%近くも分け与えていることである。この客の接待に要した食物量は、自分たちもほかの集落に旅に出かけ、もてなしを受けるため、通常は帳消しになる。しかし客人がいつ何時、何人くらい訪れるかはあらかじめ計算できないし、ふつう計算しないものである。 そのため、生産量と消費量の危うい均衡が崩れ、しばしぼ食物が欠乏してしまう事態にも陥る。そのような事態に見舞われた集落の人びとは、近隣の貯えのある集落に行き、食物を乞う。そして貯えを分け与えた集落も、あとになって、ほかの集落に食べ物を乞いに行かねばならなくなるという連鎖が生じる。「食物の平均化」とは、このようなしくみで集落間の生産量の不均衡が縮小していく事態を示したものだ。

⑦ ところで、この最少生計努力と食物の平均化の二つの傾向性は、超自然的な世界と関係を持っている。「分け与える」に反する行為は、
人びとの妬みやうらみ吟対象となり、ときには分け与えない者に対する呪術を発動 させる。この妬みや呪術に対する「畏れ」ゆえに、人びとは食物を分け与える、と掛谷は指摘した。掛谷は、住民の間で好まれている特殊な野菜を誰も積極的に栽培しようとしない理由として「一軒だけで栽培しようと すると、結局はほかの人びとに乞われて、ほとんど全部持っていかれてしまい、何のために栽培したのかわからなくなるからだ」という村人の語り を紹介している。 同じように、もし人びとに気前よく分け与えることが慢例であり、分け与えることを拒否する方途がほとんどなければ、ほかの人びとよりも多くの努力を費やしてたくさんの食物を生産した人間は、少なくとも短期的、経済的意味では損をするだろうと、わたしたちは考える。なぜなら、余剰に生産した食物は自分のものにはならず、自分より働かなかった誰かのものになるからだ。あからさまなフリーライダーを決めこむのは難しくても、合理的経済人ならば、ほかの人びとと同じだけしか働かないだろう。そして村人全員が、ほかの人びとと比べて損をしないよう「いかに努力をしないか」を競っていけば、結果として最小限の努力でギリギリの生計を維持しようとする社会になる。

⑧ このような事態は、 しばしばわたしたちの仕事場でも起きる。たとえば、仕事をしない同僚に、なぜわたしばかり働いているのかと不
満を抱く。ほかの人より多く働いても給料に違いが出るわけではなく、早く仕事を終わらせても新しい仕事が降ってくるだけのこと。出世の道が開けているわけ でもない。それどころか仕事をさっさと片付けていると、同僚から「あなたのせいでわたしたちがサボっているようにみえるじゃないか」などと恨まれる。ならば、同僚と同じようになるべく仕事をしないでその時間を自分の好きなことに使ったほうがいい、と考える人はいるかもしれない。 現在の資本主義経済で企業が生き残っていくためには、最少努力が全面化したワーク環境は不健全だとされるだろう。それは端的に「停滞」に結びつけて語られる。実際にアフリカ農村における「分け与える」をめぐる 規範と呪術を伴う妬みの機能は、その後に「アフリカ的な停滞」と深く関わる人びとの精神世界や行動様式、社会関係を明らかにする研究へとつながっていく。 一 九八〇年代にゴラン・ハイデンは、植民地期から社会主義期に至る農村変容を明らかにするなかで、最低限の生存維持を最優先した小農型の生産様式と、血縁や地縁などを基盤とする互酬的な交換に着目し、再分配を通じた相互扶動システムを「情の経済と名づけた。そして、この情の経済こそが、アフリカ諸国の発展を阻む要因となっていることを論じた。

⑨ 情の経済論はその後、一部のアフリカ研究者に、分かち合いをめぐる利他的な道徳的競向性として再解釈された。掛谷自身も、その後に
アフリカ的な地域発展を模索する研究へと向かい、平準化は、社会全体の発展を「押しとどめる」動きばかりではなく、条件さえ整えば、変わり者が始めた新規の農法を一気に広めるなど、社会全体を「押し上げる」動きともなり、内発的な発展を促進する動力ともなることを論じている。

 ⑩ 経済や社会の発展との関係は、もう少し後の章でもふたたび取り上げたいが、わたしは正直なところ、上記のような解釈、世界観に魅力
を感じることができなかった。掛谷らの世代にとってのオルタナティブな世界と、ずいぶん自然のリズムが異なるが、わたしの世代にとってのそれとの距離感もあったのだろうが、わたしには嫉妬や呪いにより平準化されていく社会は、たとえ共同体のすべての人びとの生存が保障されようと、自然との共存が可能であろうと、時間的ゆとりがあろうと、生きづらい社会に思えた。みなが同じであるよう競争が抑圧される社会は楽しいものに思えなかったし、少なくとも食べ物や富を与える―乞うといった関係は、負い目を伴うなど面倒なものに感じられた。ただ一方で、掛谷が楽しそうに語る、たくましく生きる彼らの社会における嫉妬やうらみは、現代人が考える損得や 「富」に起因するものではないのではないかとも考えていた。

⑪ わたしは指導教員が勧める農村社会での調査はせず、グローバル資本主義経済の末端で、市場経済の論理にがっちり組み込まれて商売を
する都市の零細商人を研究した。都市研究を志したわたしは、当時の大学院の風土からすると異端だったが、互酬的な関係性や分かち合いの論理は、零細商人の世界でもかたちを変えて存在していた。そして、市場経済が深く浸透した現代都市の商世界で暮らしてみて、いま一度、最少生計努力や平準化について別の解釈を試みたくなった。

 ⑫ その前に、やや唐突であるが、円環的な時間について、哲学者の内山節氏の『時間についての十二章』(岩波書店、二〇一一年)を取り上げたい。本書は、一九九〇年代の日本の農村、群馬県多野郡上野村を一つの舞台として書かれた時間論である。内山は人間の存在自体が時間的な存在であると述べ、自然や他者との関係的時間が実態的時間に変容する過程のなかに、近代の成立をみる。内山によれば、近代化とは、時間を等速的で不可逆なものとして客体化し、時間が価値の基準となる、時間の合理性が成立する過濯である。たとえば、工場や会社での賃労働は、時間によって労働力を売るだけでなく、時間そのものが労働者の売るべきものとなった、すなわち人間が自然や他者との関係のなかで主体的に「多様な時間」を創るのではなく、等速的な時間に人間の行為や関係が管理・ 支配されるようになった世界の産物だ。 余暇も「時計の時間」の一つの使い方に過ぎないから、わたしたちは依然として時間によって動かされている。内山は、こうした時間からの主体性の剥(はく)奪(だつ)こそがわたしたちの生きづらさを生み出しているとし、時間を客観的秩序から関係的存在へと再ぴ戻すことで、ふたたび人間を時間から解放することを説く。

 ⑬ 彼がフィールドにしている上野村において時間は、ときに荒々しく、ときに漂うように流れている。村人たちの畑仕事には濃密な時間と
まるで惚けたような時間がある。ことには、賃労働を支配するような「時計の時間」ではなく、揺らぎゆく時間が成立しているという。また人びとは、不可逆的な縦軸の時間とともに、一年前と同じ春や秋がふたたび回帰し、去年と同じ春の畑仕事や秋の収穫を繰り返す円環的な横軸の時間を生きている。今年も実りの秋を迎えたという喜びは、村人たちみなのものでもある。自家消費用の畑の作物は、自分が必要としている量の二倍つくるのが農家の自然の憤習で、余った分は知人に配ったり、不作の家があったときはそこ へ回したりするのが普通だという。内山はこれを、農民の「アソビ」であると指摘する。だが、みなで実りを分かち合う暮らしの豊かさは、作物が商品として出荷された瞬間に消え去り、数ヵ月かけて育てた作物の対価としてはあまりにも少ない貨幣へと選元されてしまう。だから上野村の人びとは必ずしもすべての作物を商品として出荷しないし、仕事を時間あたりの労働投下で換算しうる「稼ぎ」とは異なるものとしているのだという。

⑭ タンザニアの焼畑農村は、四季折々で変化をみせる日本の「里山」とはずいぶん自然のリズムが異なるが、「〇〇さんはお変わりありませんか」という挨拶が、対面する相手自身から始まり、家族、友人、隣人、健康、仕事に至るまで長々と確認されていく世界は、刻々と変化する縦軸の時間よりも、横軸の時間のほうが優先しているようにみえる。少なくとも商品経済が現在より浸透していなかった、一九七〇年代には、時計の時間で農業を営み、時間あたりの労働力の投入量にふさわしい収穫や富を得るといった感覚は希薄だっただろう。

⑮ だが、タンザニアの農村のアソビは、上野村の人びとのように「収穫はともに実りの時期を迎えたみなのものだ」「余剰分は不作の農家に回す」を前提に成り立ってはいないようだ。それならば、「最少努力」で臨まずに、上野村の人びとと同じように自家消費量の二倍の作物をつくればいいように思う。むしろアフリカ農村のアソビは、不作の年もあるし、みなが同じように生産できず、食べられない人びとが生まれることを知りつつも、何らかの共同体的な関係を前提としてどれくらい生産するかをあらかじめ計画しない点、すなわち 「どうかなったら、そのときに対処する」という Living for Todayの生き方から出発しているのではないだろうか。そう考えると、嫉妬やうらみによる平準化の圧力は抑圧ではなく、自然や社会との関係的に存在する時間を操る生き方の技法として解釈を展開できる。

⑯ わたしは、農村から貧しい出稼ぎ民が流れてくるタンザニアの都市居住区に住んでいた頃、昼どきよりもずっと早い時間に来た客人を延々と引き止め、「ご飯を食べていけ。食べていくまで帰さない」などと説得する場面に頻繁に出くわした。路肩でご飯を食べている見知らぬ人から、突然「一緒に食べよう」と食べかけの皿を差し出されたことも何度もある。

 ⑰ただ、家族ですら食べるのがやっとな家計に余裕などないので、じっさいに客が何人も頻繁に来れば、自分たちの食べるものがなくなる。また、いつも客人をもてなすのが好きなわけでもないようで、米や肉など高価な食べ物はビニール袋を二重にしてばれないように買ってくるし、近所の人に目撃されると、いかにお値打ちだったかを説明して、ねだられたり嫉妬されたりしないように気を配っていた。

 ⑱ つまり彼らは、来てしまった客や、ご飯を食べているのを見られてしまった人を、そのときに食べているものを分け与えることでもてな
す、あるいは嫉妬をかわすのであり、それはホスピタリティであり、社会関係をやりくりする技法でもある。分け与えることはあらかじめ予想した出来事 というより、降りかかってきた定めである。そして、そのような偶然や出会いに対処することが、ときには楽しみになっている。来るかどうかわからない客である限りは、余剰を準備したり思い悩んでも仕方がないし、起きてきてしまったことは何とか対処しなくてはならない。さらにその結果、わが身が困った事態におかれても、何らかの用事をひねり出して誰かの家を訪問したり、さりげなく誰かに分けてもらうことができる。

 ⑲ふだんは「何とかなるはずだ」という信念にみずからの生存を懸け、過度に自然や社会関係を改変せず、未来に思い悩まず「自然」のリズムでまったり暮らしながらも、いざというときは、呪術や超自然的な事象との関係も駆使して切り抜ける。そのように解釈すると、彼らはたゆまぬ時間の流れのなかに緩急を生み出ししながら、なかなかスリリングに生きている、時間をあやつる達人のようにもみえるのだ。

(小川さやか『「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済』より)
設問l この文章を三〇〇字以上三六○字以内で要約しなさい。(Living for Today という用語は使わないこと)
設問Ⅱ 「分け与える」 ことについて、あなたの考えを三二〇宇以上四〇〇宇以内で述べなさい。

(2)考え方/ 設問l


要約問題のコツを以下に掲げます。

①参考文のキーワード(🔓)を拾って、その定義を簡潔にまとめる。

②キーワード同士の関係を理解する。

・タンザニアの焼畑農耕民トングウェ人の生計経済には「最少生計努力」(🔓キーワード1)と「食物の平均化」(🔓キーワード2)の二つの傾向性がある。

設問Ⅰの要約では、3つのキーワード(「最少生計努力」「食物の平均化」「アソビ」後述)を必ず用いること。

〇キーワードの理解

1) 「最少生計努力」の内容

・年間の推定消費量ぎりぎりしか主食作物を生産しない。

・森林と森林後退後の二次性草原だけを開墾し、広大な熱帯降雨林やサバンナを農耕の対象とはしていない。

・どのような食べ物が好きかにかかわらず、いちばん手近で簡単に大手できる食糧資源に強く依存する傾向がある。

・できるだけ少ない努力で暮らしを成り立たせようとしている。

2)「最少生計努力」の目的・効果

・自然の改変を最小限にとどめ、原野の自然と共存しながら暮らすことを可能にしていた。

・わたしたちの資本主義社会とはまったく異なる世界=オルタナティブな世界。

3)「食物の平均化」の内容

・最少生計努力を、社会を生きるうえで誰しもが抱くだろう人間の基本的な感情である嫉姑やうらみに起因する呪いで説明する。

・集落を訪れる客人をもてなすために、生産した食糧の四〇%近くも分け与える。

・そのため、生産量と消費量の危うい均衡が崩れ、しばしば食物が欠乏してしまう事態にも陥る。

・これに対処するためにほかの集落に食べ物を乞いに行かねばならなくなるという連鎖が生じ、集落間の生産量の不均衡が縮小していくしくみが「食物の平均化」である。

・「分け与える」に反する行為は、人びとの妬みやうらみ吟対象となり、ときには分け与えない者に対する呪術を発動させる。この妬みや呪術に対する「畏れ」ゆえに、人びとは食物を分け与える。

・合理的な計算が働き、村人全員が、ほかの人びとと比べて損をしないよう競っていけば、結果として最少努力でギリギリの生計を維持しようとする社会になる。

4)「最少生計努力」と「食物の平均化」の評価

・「最少生計努力」と「食物の平均化」にみられる分配を通じた相互扶動システムをゴラン・ハイデンは「情の経済」と名づけ、これがアフリカ諸国の発展を阻み「アフリカ的な停滞」をもたらす要因と結論づけた。

・情の経済論はその後、分かち合いをめぐる利他的な道徳的競向性として再解釈された。

・平準化は、社会全体の発展を「押しとどめる」動きばかりではなく、条件さえ整えば、社会全体を「押し上げる」動きともなり、内発的な発展を促進する動力ともなる。

 ・嫉妬や呪いにより平準化されていく社会は筆者にとっては生きづらい社会に思えた。

・互酬的な関係性や分かち合いの論理は、零細商人の世界でもかたちを変えて存在していた。生計努力や平準化について別の解釈を試みたくなった。
〇生計努力や平準化について別の解釈

1)内山の近代化論
・哲学者の内山節は人間の存在自体が時間的な存在であるとし、自然や他者との関係的時間が実態的時間に変容する過程のなかに、近代の成立をみる。

・近代化とは、時間を等速的で不可逆なものとして客体化し、時間が価値の基準となる、時間の合理性が成立する過程である。

・人間が自然や他者との関係のなかで主体的に「多様な時間」を創るのではなく、等速的な時間に人間の行為や関係が管理・支配されるようになった。

・時間からの主体性の剥(はく)奪(だつ)こそがわたしたちの生きづらさを生み出しているとし、時間を客観的秩序から関係的存在へと再び戻すことで、ふたたび人間を時間から解放する。

 2) 上野村の「分かち合い」

・上野村において時間は賃労働を支配するような「時計の時間」ではなく、揺らぎゆく時間が成立している。

・人びとは不可逆的な縦軸の時間とともに、一年前と同じ春や秋がふたたび回帰し、去年と同じ春の畑仕事や秋の収穫を
繰り返す円環的な横軸の時間を生きている。

・自家消費用の畑の作物は、自分が必要としている量の二倍つくり、余った分は知人に配り、不作の家があったときはそこへ回す。これは農民の「アソビ」(🔓キーワード③)である。

3) タンザニアの農村のアソビ

・不作でみなが同じように生産できず、食べられない人びとが生まれることを知りつつも、何らかの共同体的な関係を前提としてどれくらい生産するかをあらかじめ計画しない点、すなわち 「どうかなったら、そのときに対処する」という生き方からアフリカ農村のアソビは出発している。

・嫉妬やうらみによる平準化の圧力は抑圧ではなく、自然や社会との関係的に存在する時間を操る生き方の技法として解釈を展開できる。

・偶然や出会いに「分与」によって対処することが、ときには楽しみになっている。

 ・ふだんは「何とかなるはずだ」という信念にみずからの生存を懸け、過度に自然や社会関係を改変せず、未来に思い悩まず「自然」のリズムでまったり暮らしながらも、いざというときは、呪術や超自然的な事象との関係も駆
使して切り抜ける。そのように解釈すると、彼らはたゆまぬ時間の流れのなかに緩急を生み出ししながら、なかなかスリリングに生きている、時間をあやつる達人のようにもみえる。

(3)考え方/ 設問Ⅱ


慶應義塾大学文学部の出題傾向として、テーマに近代化批判の参考文を用いるところに特徴がある。

したがって、近代の本質(特徴と問題点)をきちんと理解して臨まなければ、出題意図に副った答案を書くことは難しい。

近代とは、ざっくりまとめると市場経済(資本主義)と民主主義の2つの柱から成り立っている。

市場経済について言えば、1980年代以降の新自由主義の隆盛で、格差の拡大が進み、社会で分断やひずみが各所で生じている。

(新自由主義については、今はあえて解説をつけません。後日このブログで詳しく書く機会があるかと思います)

従って、この問題の「分け与える」こと、すなわち贈与について、さまざまな想像を働かせて考えること。

市場経済が商品とその対価である貨幣の交換で成り立っている。

とするなら、贈与に当たるものは、市場経済の外部、あるいは周縁に存在するもの、と考える。
例えば、ボランティアは無償であることで「労働力と時間の贈与」と定義することができる。

あるいは、才能を英語で gift と言うが、gift にはほかに、「天性の才能、特別な能力」という意味もあり、この「天賦の才」いわば「天から与えられた贈与」と言ってもいい。

受験生の才能を将来どのように生かすのか、という含意もこの問題にはある。
そこで、平成31年度の東京大学入学式の上野千鶴子の祝辞を参考にして書く方法もある。

あるいは、「分け与える」ことシェア(share)と取るなら、近年のシェア経済、シェアカーやシェアハウス、シェアオフィスなどについて話を広げるのもよいだろう。

特にシェアカーは地球温暖化防止の対策として近年注目されている取組みだ。
こうした話題を持ち出すことで、環境問題に発展させることができる。
慶應義塾大学レベルでは、自分の身近な経験を例示とするのではなく、社会的事象や現代社会が直面する課題にスケールを拡大して書くことを心掛けてほしい。
そうすると、普段から社会問題に興味を持ち、引き出しをたくさん持っておくほうが有利となる。
文学でも、社会の知識は必須である。

慶應サムネ.png




(3)解答例


問Ⅰ

タンザニアの焼畑農耕民トングウェ人の生計経済は最少生計努力と食物の平均化という特徴がある。前者は年間消費量の最低限しか主食作物を生産せずにできるだけ少ない努力で暮らしを成り立たせる。後者は客人に食糧の多くを分け与え欠乏する他の集落に乞いに行く連鎖が生じ集落間の生産量の不均衡が縮小するしくみである。分与に反する行為は妬みやうらみ対象となり呪術を発動させる。その畏れから人びとは食物を分与する。筆者は上野村の例からこれを再解釈する。近代化は時間を等速的で不可逆なものとして客体化・実体化する。トングウェ人では揺らぎゆく時間、円環的時間の中で作物の分与は農村のアソビとして成立している。このように自然や他者とのかかわりから主体的に作り上げる関係的時間などの多様な時間を創ることが生きづらい近代から逃れる方途である。

問Ⅱ

 英語のgift は「贈与、贈り物」のほかに、「恩恵」や「天賦の才」という意味を持つ。つまり、ものも才能も天から贈られた恵みという含意がある。ひとは財産や能力は自己の努力の結果もたらされたものと考え、これを私有、独占することを当然とする。一方、これを持たない者は努力が足りないから現在の惨状をもたらしたのだと切り捨てる。gift の字義からすると、これらは他から贈与された恩恵である。ならば他の恵まれない人々に分与することは当然の成り行きである。

 格差が拡大した現代は貧困世帯で矛盾が深刻化している。この格差は自己責任論の下で放置されている。しかし、自分の財産や才能は、社会からの恩恵の賜物であるというgift本来の意味を鑑みると、これを社会に還元することをためらってはいけない。今こそ、所得の再分配を強化して社会保障を充実させ、天賦の才はこれを必要とする他者のために生かすという哲学を私たちは学ぶべきである。



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