【教育学部小論文】書き方

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(1)はじめに


大学入試小論文は、大学・学部・学科や推薦入試か一般入試の違いで内容を書き分ける、という話を以前、このブログで指摘した。

今回は教育学部の例で話をしてみる。

原則、小論文は問題の指示に従っていれば、何を書いてもいい。

もちろん、差別的なことはダメ、意見には論拠を添える、誤字脱字は不可、といった決まりがあるが、こうしたルールを守っていれば、好きに書いていい。

自由だ。


しかし、教育学部は違う。

指導者として、子どもたちに範を示さなければならない立場だから、好き勝手書いていい、というわけにはいかない。

その点は、法学部も似ている。

大胆でオリジナリティのある答案は、「現実的でない」「現場が混乱する」などといった理由で却下される可能性が高い。

何より、文部科学省の学習指導要領の内容から逸脱する答案はペケとなる。

私も何年か高等学校の教壇に立ったことがあるが、やはり教師は考えが固い、という感想を持った。

教師は組織の中で動いているので、ルールでがんじがらめに縛られている。

他のクラスと異なった授業をすると、お咎めがきて、最悪、学校を去ることになる。

私の教えていた学校は私立学校だったので、ワンマン校長がすべてを仕切っていて、まことに息が詰まる雰囲気であった。

こういった個人的な経験もベースになっているので、読者のみなさまはその辺を含み置きいただいた上で読んでいただきたい。


(2)学習指導要領を必ず読む


教育学部小論文はオーソドックスに書く。

答案は固く、オーソドックスに書いたほうが無難だ。

書く際には、文部科学省の最新の学習指導要領を必ず読んだうえで、その趣旨に副って考え、書くこと。

教育基本法も合わせて読んだほうがいい。

もちろん憲法も。

なぜなら、公立学校の場合、教員も公務員であるから、法には必ず従わなければならない。

私立学校であっても、教育は公共性を持つ社会資本であるので、公務員の立場に準ずる。

学習指導要領から外れた内容は、いくらオリジナリティがあって面白い内容であっても、高い評価を期待できないかもしれない。


たとえば、不登校の問題で、次のような意見を書くと、合格点をもらえない可能性がある。

「いじめにきちんと対処できない学校には行く必要がない。家庭でも子どもの教育の機会を十分に確保できる。事実、アメリカでは家庭学習にも単位を与えている。日本でもこれに習い、教育の多様性を認めるべきだ。」

実は、上記の意見は私の本音に近い。だから、段落構成や表現しだいでは、私が採点官であれば、このような答案を受験生が書いてきたら、高い評価点をつけたいと考えている。

しかし、こうした意見は学校や教師の役割、その存在意義を全面的に否定しかねない内容であるので、教育学部入試小論文の答案としては、大幅減点を食らう覚悟をしなければならない。

つまり、「正しさ」というのは、実は普遍的なものではなく、「場合」や「条件」によって変わる。

小論文は大学・学部によって書き方を変える、というのはこのような含意がある。

ちなみに上記の駄目な例として出した答案は、表現や書き方によっては、たとえば慶應義塾大学文学部入試小論文では、高い評価を受ける可能性がある。

つまり、国の教育政策を形作る基礎となる哲学にまで遡及したうえでの考察として出された結論であれば、文学部(哲学も含む)では、現状の国の教育政策批判であってもよしとされる。

いわゆる難関校ほど、実は許容性や柔軟性がある。

しかし、教員は官僚の一種という性格を持つ。

そうである以上は、現行の法規に則って考える。これが教育学部の小論文を書く上での原則になる。

話を戻すと、学習指導要領にあるキーワードをなるべく使うようにして、そこから考えを少し膨らませるようにして書く。


たとえば、「生きる力」「主体性」「対話」といったキーワードがこれに当たる。

これらの言葉をただ使えばいいというわけではない。

こうしたキーワードが出てきた時代背景についてきちんとつかんだうえで、自らの考えを構築する必要がある。

次章では、その時代背景について解説する。

(3)現在は教育のターニングポイント


新学習指導要領が平成29・30年に改訂された。

その背景から書く。

まず、学習指導要領とは何か、という解説から始める。

「学習指導要領」とは、全国どこの学校でも一定の水準が保てるよう、文部科学省が定めている教育課程(カリキュラム)の基準です。およそ10年に1度、改訂しています。子供たちの教科書や時間割は、これを基に作られています。



以上、文部科学省ホームページより引用。

今回の改訂の背景は、社会の状況の変化に教育も対応する必要が迫られたからです。

状況の変化とは、グローバル化や急速な情報化、技術革新などで、このような激変する社会のなかで、子供たちが「生きる力」、時代を「生き抜く力」を養成するため、というのが大きな狙いのようです。

新型コロナウイルス感染拡大という、現在の状況下において、このような「生きる力」、「生き抜く力」はこれからさらに重要性を増してくるにちがいありません。

(4)グローバル化と急激な技術革新の時代の教育


グローバル化については、安倍政権は2018年 入管法改正し、新たな在留資格として「特定技能」を導入した。5年間で最大34万5千人の外国人労働者を受け入れる方針を発表し、2019年 から受けいれを開始した。

急速な情報化、技術革新については、2020年から新たに第5世代移動通信システム(5G)が導入され、これに伴い、自動運転車の実用化が進み、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)といったテクノロジーが私たちの生活に深く入り込んでくるといった、時代の大きな変化が指摘される。


また、AI(人工知能)の飛躍的発展により、シンギュラリティ(技術的特異点(singularity))が到来し、将来「真の意味でのAI」が人間の能力を超えるときがくると、まことしやかに囁かれている。

これは数学者新井紀子氏が『AI VS 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済、2018年)を著し、現代の子どもたちの学力低下の原因は、教科学習以前の問題にある、そもそも子どもたちは、教科書に書いてある文章や問題の意味がわからない、という研究成果を発表して世論に大きな衝撃を与えたことも呼応している。

近年、日本では、国際学力調査(PISA)の国際順位も下がってきている状況も深刻化を増している。

画像1.png

のグラフに示されているように、特に読解力の急激な低下が明らかとなり、これは前述した状況を裏付けるものだ。

このような時代状況により、今回の高等学校の学習指導要領「国語」では、

「こうした変化の一つとして,進化した人工知能(AI)が様々な判断を行ったり、身近な物の働きがインターネット経由で最適化される IoT が広がったりするなど、Society5.0とも呼ばれる新たな時代の到来が,社会や生活を大きく変えていくとの予測もなされている。」

という認識の下に、以下の改革が施された。

「現代文」の教科のなかに新たに「論理国語」と「文学国語」を設定する。

 「論理国語」では、言葉そのものを認識したり説明したりすることを可能にする働きの養成に主眼を置く。

必修科目の「現代の国語」(2単位)と「言語文化」(2単位)を履修した後に、選択科目である「論理国語」(4単位)、「文学国語」(4単位)、「国語表現」(4単位)、「古典探究」(4単位)を履修する。


このような文科省の大きな教育改革のうねりの原動力として、まさに新井紀子氏の先の著書の続編にあたる書籍のタイトル「AIに負けない子どもを育てる」という言葉に端的に表現されているのではないだろうか。

(5)教育学部小論文の勉強法


まとめると、教育学部受験生は、このような時代背景のもととなるAI(人工知能)などのテクノロジーやグローバル化に対する理解を深めること。

学習指導要領の「生きる力」「主体性」「対話」の内実を深く考え、教育の現場でこうした資質をはぐくむための具体的なプログラムや授業内容を考えること。

そして、何より、現在の学校や塾・予備校は相も変わらず教師が教壇の上から解説をし、生徒はこれを黙って聞くだけの一斉授業を行っており、旧態依然のままである。

こうした状況に批判的になること。

私の予備校での授業は生徒との対話を重視して、こちらの考えを一方的に押し付けるようなことはしていない。

OK小論文のオンライン授業でも、ZOOMの双方向の特性を生かし、受講生の主体性を引っ張り出して、入試本番でも、「わからないときでも、ひとりで何とか答えを引き出す能力」を育むことに注力している。

文科省の言う「生きる力」とは、まさにこのような能力を指し示すものではないか。

文責:OK小論文 朝田隆

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