セックスレス-レスられ側は正しい!

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レスられてもレスられても求め続けていい


あなたがプリキュアの超ファンだとする。
しかし楽しみにして見に行った『実写版プリキュア』の主演が、竹内力と哀川翔だったとしたらどうだろうか。

映画を見に行ったあなたが悪い?いや、悪くない。
そんなキャスティングをした制作会社に非があるに決まっている。
セックスレスもおなじだ。
理不尽にセックスを拒否されているひとに、罪はない。

完全なる被害者だ。

レスられてるひとは、自分を卑下する心も反省する姿勢も、さっさと燃えるゴミの日にでも出してしまえばいい。

この記事は“レスられ側”を全肯定する。
かなりかたよった意見をぶちあげるが、それでいいのだ。

“中立”なんて概念は、”YOSHIKIのglobe加入”と同じくなかったこととする。

ただ例外はある。
・モラハラ&セクハラ
・相手が結婚を決めた“あなたのいいところ”を失くしてしまった

上の2点に該当するひとは、やっぱり反省が必要だ。

なるべく早い改善をオススメする。


選ばれし愛の民



セックスを拒否する側はこう言う。もしくは口に出さないまでも思っている。

「こっちはセックスしたくないのに求めるな。ひとのイヤがることはするな」、と。

そう、彼・彼女らは“相手のイヤがること”はしてないつもりなのである。
何も行動を起こしていない、ということがその根拠だ。

しかしじっさいは“相手がセックスしたがっているのに無視する・拒む”という行動をしている。

これも十分、“ひとのイヤがる”ことに該当することに気づいていない。
「したくないのに誘うな」「したいのに断るな」

タチの悪いことにこの2つを並べたとき、後者のほうが横暴な感じがしてしまう。
けどそれは錯覚だ。

上に書いたものをこう変換するとわかる。

「したくないのに誘われる」
「したいのに拒絶される」

どちらが傷つくだろうか。

「したいのに拒絶される」ほうに決まっている。

横暴で相手にダメージを与えているのは、「したくないのに誘うな」という側である。
長くセックスレスの憂き目にあっていると、本当に辛いし自分を嫌いになりそうになる。

でも愛するひとを抱きたい、愛するひとに抱かれたい、という気持ちを持ち続けているのは、誇れることだ。
世の中にはニセの誠実があふれている。

“他人に見せる用の誠実”とでもいおうか。

ヤリチンのこども3人ほしいアピール。
サラ金主催のふれあいコンサート。
邪教の温和な司祭。
など…

しかし結婚後もずっと同じ相手とセックスしたいと思うのは、真の誠実である。

ひとりの人間を愛し抜く力を持っている。過去はどうあれ。

とくに既婚男性はほかの女性に目移りしやすい気質がある。

にも関らず、妻を抱きつづけたいという男は、“愛の戦士-ラブ・ウォリアー-”の称号をもらってもいい。

残念なのは、こんな一途な夫や妻と結婚しながら、まったく自分の幸運に気づいてないひとたちである。

あげくの果てにセックスを拒否したりしちゃう。

『世界・ふしぎ発見!』でスーパーひとし君を特別に3体もった状態でクイズにのぞんでいるのに、珍解答を連発する野々村真のようなことをしているのだ。

ああもったいない。


性欲あるのは才能のひとつ


世界一、セックス頻度が高いのはギリシャだという。

ぼくはその要因を調べようと、ツイッターでギリシャ人にDMでコンタクトをとっ…ことがある。

急に“夫婦のセックス”について聞いてくる頭のよわい東洋人だと思われたのか、ほぼスルーされた。

でもそのなかでも、返信をくれたギリシャ人男性がいた。
内容を要約すると、こうだった。

「ギリシャ人はセックスをとても重要だと考えていて、性格もオープンなのでセックスの回数が多いんじゃないかな。
ただそのセックス回数の調査がホントかどうかは分からない。
ギリシャ人は自分の性的能力の高さを自慢するのが好きだから、回数は“盛ってる”かもしれない。君もレスに悩まず気楽にいこうよ。
どうしても辛いならカウンセリングに行きなよ!」

最後にぼくのレスについて、アドバイスまでくれる優しい男性。まあこのとき、すでにぼくはレスから脱出していたけど。

このメールで印象的だったのは、ギリシャでは“性欲がつよい”ことが自慢になるということ。

日本は逆で、“性欲がつよい”ことは恥ずかしいという文化が根強い。

その文化のせいで“性欲が弱いこと”に正当性がもたらされ、レスり側はそこにあぐらをかいているのではないか。

“性欲が弱いこと”と“自分をコントロールできること”はまったく別のことである。

でもなぜか同一視されてるような感じがある。

「欲に飲まれてなくていいですね」みたいな。

しかし相手が求めてるのに、“性欲がない”せいでセックスできないのなら、それは自分をコントロールできてないってことだろう。
性欲を出すべきところで出せないんだから。

性欲がある、性欲がつよいのは恥ずかしいことではない。

そして性欲は食欲や睡眠欲にくらべてないがしろにされやすい。

セックスが食事や睡眠より軽くみられるのは、“時間”だとおもう。

ほかの2つにくらべて、毎日のことでもないし、関わっている時間が圧倒的にみじかい。

信号で言えば、“黄色”だ。
一瞬で赤に切りかわるので意識されにくい。
でも黄色がなかったら、事故が絶えなくなる。大事だ。

つまり性欲を大事にできるひとは、黄色信号の存在意義を感じとれるような、素敵なアンテナの持ち主なのだ。


こどもできたらセックスは不要?


「子づくりのためにセックスはあるので、こどもできたらセックスは不要」
そういう考えを持つひとは、悲しいけどけっこういる。

パーティあとの鼻メガネのようなぞんざいな扱いを、夫婦間のセックスはされてしまうことがあるのだ。

この考えをするパートナーを持つと、レスで悩むひとは苦境に立たされる。
ほぼすべての動物が子孫繁栄のため、セックスをする。

そのため、相手のほうに大義名分がある気がしてしまう。

レスり側は子づくり以外の理由でセックスを求める相手を、欲まるだしのケモノのような目で見ることがある。
しかしこどもを作るためだけにセックスをするほうが、動物まるだしではないか。

われわれはセックスによって“愛”を感じられるように進化したのだ。

これこそ、ケモノと人を大きく分ける偉大なる持ち味ではないか。
なので“子づくり以外のセックス不要論”をふりかざすひとは、チンパンジーを見るような目で見てあげればいいのだ。

そしてひとこと
「はやくこっち(ヒト側)においでよ」と言ってあげよう。


女性からセックス求めてなにが悪い


レス解消のため、話しあいの場を設けてははぐらかされ、ベッドで強引に抱きついては背中をむけれられる。

そんな女性は毎日心をバキバキ折られていることだろう。

レスられている女性が積極的にセックスをしかけることは、悪手なのだろうか。

いや、そんなことはない。

ぼくもレスられている女性は受け身でいたほうが得策なのでは、と思っていた。

ついさいきんまでは。

男性は女性から積極的に求められると、逆にひいてしまう。

だから待っているほうがレス解消に近づくのでは?などと考えていた。
でもそれは甘かった。

レスり夫は妻が動かなければ、これ幸いとよけい動かなくなる。
セックス界のカーネルサンダースと化すのだ。

だからセックスに対して、何らかのアクションを起こしている妻は絶対的に正しい。

現状が変わるかどうかは別にして、夫に働きかけるというのが、妻が取れる唯一無二の方法なのだ。

“女がセックスを積極的に求めるなんてはしたない”なんて古くさい言葉は無視していこう。

そんなこと言う奴にかぎって、「古風な女性がタイプ」なんて形骸化したことを言ったりするのだ。

愛あるセックスのために、レスり夫に立ち向かい、そのたびに打ちのめされる。

それでも傷口をおさえながら、ふたたび立ちあがり、レスへ挑戦状をたたきつける。
なんて美しいのだろう。これを女神と呼ばずして、なにを女神と呼ぶのか。

レス解消のため、果敢にチャレンジして何回も失敗するだろう。

でもそんなとき勇気づけてくれるエジソンの言葉がある。

「失敗ではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ」

レスられているひとが、たくさん失敗しているならそれは正しい。
そう、成功というのは失敗の果てにしか存在しないのだ。

まあ失敗のなかには“いまの相手との結婚”自体が含まれるかもしれないが……。



男らしさより人間らしさ

性別にかかわらず人の心のなかには、“男”も“女”も住んでいる。

ゴリゴリのマッチョが急にソニプラでミッフィーグッズを買いたくなる。
着つけ教室の帰り道のご婦人が、豪快に松屋の特盛を食べたくなる。

こういう例は、戸籍上とは反対の性別がうっかり顔を出した瞬間だ。

夫がセックスレスで悩んでる。

そう聞くと、湧きあがるムラムラを処理できなくて困っていると思われる。
半分ぐらいはそうかもしれない。

しかしもう半分は、夫の中の“女”の部分が辛さを感じているのだ。
つまり夫も相手に“抱かれたい”と思っているということ。

甘くささやかれながら優しく愛でられたい、という願望があるのだ。
そしてレスでその願望が満たされなくて、心ではグショクショに泣いている。

本当は妻に泣きはらしながら「優しい言葉をかけながら抱きしめてほしい」とさけびたい。
が、“男は男らしく”という観念がそれを許さない。

たとえ相手にセックスを断られても、なんでもない顔で“効いてないフリ”をする。
もしくは無口になって不機嫌アピールぐらいしかできない。

そして辛い気持ちを抱えたまま、混雑した電車に揺られ仕事へ行く。
本当は傷ついたシマウマなのに、ライオンの仮面をかぶって。

全身血まみれなのに、「こんなのかすり傷だ」と言ってるマンガのキャラクターはたしかにかっこいい。男として憧れるものはある。

だけどそれはフィクションだから成立するのである。
現実世界でそれをやると、心が死んでしまう。

傷つくまいと、レスの辛さを男らしさで跳ね返す。

すると本当にレスに何も感じなくなり、むしろ妻とセックスしたくない、と達観できるようになる可能性もある。

しかしそのころには赤い羽根募金の箱にプチのいちごビスケット味を入れちゃうぐらい、心をなくした人間になってるかもしれない。

たとえ男性であっても、レスが辛ければ辛いとこぼせばいい。

泣きたければ、妻のまえでも泣いてしまえばいい。

男らしくより、人間らしくいこう。

泣きじゃくりたい自分を隠してクールに迫るよりも、本音出してみっともない姿をさらしたほうが、レスり妻の心を動かせるかもしれない。

その姿を鼻で笑うような妻であるのなら、それはセックスレス以前の問題だろ
う。


この記事はここまでです。読んでくださり、ありがとうございました!



ぼくもセックスレスで苦しんでいたことがあります。
そのときにセックスレスに関して色々勉強し、考え抜いて、解消することができました。
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