「鹿児島😍」in ラスト”マイメモリーズ”!!!

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コラム
💜大学生時代、ファッション(メンズ、レディース)に興味を持ったので
ファッション専門店に入社し、鹿児島天文館店に配属となりました。
配属前の面接、研修を東京で受けました。
そして天文館店ダイエー店にても「接客」中心の業務をさせてもらいました。
時代は、「バブル」と言われる時代でした。
しかし、私には、そういう事は、頭にはなかった記憶があります。
自分の店を持ちたいという感覚はありました。
故に、マネージャー(店長)&
マネキン他へのディスプレイ(TPOに合わせてのコーディネート)ができることを目指しての入社でした。
ところが、時代は、「売り上げ至上主義」でした。
住まいは、会社が借りている「マンション」での生活でした。
3LDKの間取りに数人での生活でした。
市内電車通勤でした。
自炊ではなく、仕事帰りにみんなで中華料理店に寄って食事をしていました。
おふくろの店という店を見つけ出し、そこにも通うようになりました。
田原俊彦のファンの娘さんがいる店でした。
日替わり定食が楽しみでした。
それから、白熊くん、カンパリソーダが好きでした。
ウィスキーは、バーボンでした。
この頃は、タバコも吸っていました。キャビンです。
当然、焼酎もです。先輩から、教わりました。
カラオケスナックにもよく言っていました。
夫婦でされていて、ママさんが面白くて、マスターは、いつも帰るときは
1回まで見送りされ、頭を下げられていました。
実直マスターでした。
映画館にもよく行っていました。
雑貨屋さんにもよく行っていました。
海に泳ぎにも行っていました。
ハイウェードライブ 
そして、桜島
行きたいところが、たくさんありましたので!


💜仕事面ですが、「接客の如何」によって、売り上げを上げるという仕組みのスタイルを取る会社でした。
ベースになっていたのが、「フレンドリー接客」というものでした。
来店客と話を交わし、短い時間の中でフレンドリーになり購入してもらうというパターンです。客層にあった声掛けも勉強した次第です。
声掛けのタイミングというのも習得しました。
しかし、物を売るという事は、「水物」であり、「人気」がなければ何をしても売れないという事です。
あるとき、「ホームシック」という感覚に襲われたことを覚えています。
私は、店を持ちたいと思う事ともう一つ思う事がありました。
それは、「接客のメリット」を生かしたいということでした。
接客、購入(販売)という事で、その時の来店客のリピートがあるようになりました。
来店客が購入する目的で来店され、そこに、接客というより、
まず、ビジネス感覚ではなく、
ごく普通に人と話する感覚でフレンドリーになる事が目的になっていた感があります。
それができたのは、ファッション専門店(小売店)にいて、来店される方も
ファッションを目的に来店されるからです。
さらに、リピート購入されるという事は、商品及び「販売員」の影響によるもので販売員による影響が大きかったのです。
つまり、「親身になって話を聞くやさしさ」 これに尽きると思いました。
「人間性&イメージ&センス」です。「フランク&フレンドリー」です。
こういう事ができるようになったのも、
店舗の店長、先輩、同僚、後輩のおかげでもありました。
さらに、「人を見る目」もできた感があります。
ビジネス抜きで、「人の輪」もできるという事にも気づいた次第です。
女性の接客も当然ありました。やはり、薩摩おご女でした。
何よりうれしかったのは、購入した来店客の方が、
「お礼にと言って、プレゼントを手渡しされたことも覚えています。」
彼氏、彼女へのプレゼント あるいは子供さん、お孫さんにという事で
よく相談を受け、商品を紹介(プレゼン)していた記憶があります。
故に、準備として、掃除等ありますが、欠かせないことの一つに
相談される内容を想定しての、商品のコーディネートによるロールプレイング
をして、接客云々を身につけようとしていたことを覚えています。
最初のうちは、そういう事を中心に継続して行い、繰り返すうちに
いつしか自分らしい接客応対が身についていた記憶があります。
還暦を迎え、気づいたのですが、この「自分らしい接客応対」が身について、そのことが、私の今までの生き方のベースになっていたことにです!
社員の方は、地元の人がほとんどだったので、休みの日とかは、観光地なのでよく案内してもらいました。本当に、優しい方ばかりでした。
先輩の中には、「サーファー」の方もいました。
よく、宮崎に行っていると話されていたことを覚えています。
それから、仕事終わりには、「ディスコ」にも案内されました。
いつの間にか、踊れるようになっていました。
先輩の結婚式にも参列しました。
社員旅行もありました。
この頃は、みんな和やかなフレンドリーだった感があります。
「カラっと行こう」という時代でもありました。
売り上げ至上主義だと、「接客のメリット」が、頭の中から消え去り
数字の事のみになってしまいます。
もう皆さんお解りですね!
相手は、同じ人間なのに、数字の事ばかりになるという事は
お金のことばかりとなり、自分ではどうしようもないことに一生懸命になってしまうので、今で言う「うつ病」になってしまうという事です。
私が言いたいのは、昔から今の問題になっている「心の病」というのは
あったという事です。公になっていなかっただけで.....。
「接客」いうのは、人間にとっていろんな意味で「人生の解決策の宝庫」だったのです。今現在も、この接客という事が含んでいる
「人間にとってのメリット」は、無くなっていないのです!

どういう事かというと、

「人」がする(接客)では、人と直接接します。
そして、話をします。
何かを感じ取ります。

「インターネット」でする(接客)では、
目からの映像、写真をみて受ける、感覚イメージ!
文章、言葉から受ける、感覚イメージ! 
何かを感じ取ります。

つまり、インターネット活用でも「人なりを感じ取れる事」には
変わりはないという事に気づいた次第です。

手紙ノーマルがワープロノーマルへ
人・人直接接客がインターネット接客へ

それから、アパートを借り、一人暮らしを始めました!
バス通勤をしました。

いろいろありまして、帰省することになりました!

(追伸)
「私の鹿児島時代のベストカラオケ!!!💜」です。
 ”忘られぬ時代(とき)” ヤーヤー!

胸に残る 愛しい人よ
飲み明かしてた 懐かしい時代(とき)
秋が恋を切なくすれば
一人身のキャンパス 涙のチャペル
あ~も~あの頃のことは夢の中へ
知らぬ間に遠く 
美しすぎるほど 忘られぬ日々よ!

互いにギター 鳴らすだけで
わかり合えてた 奴もいたよ
戻れるなら IN MY LIFE FORGET
目に浮かぶのは BETTER DAY

とびっきり素敵な恋をしたと思う
帰らぬ思いで
もう一度だけ会えたら いつの日にかまた
忘られぬ日々よ~!







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