ータロットカードと私―「XVIIII 太陽」「X 運命の輪」「XV 悪魔」

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カードを引いて…。
 .愚者~21まで並べて(それをマンダラと言うそうです)
 .そのまま集めて
 .それをひっくり返して気のすむまで混ぜて
 .整えた上から3枚引きました

「XVIIII 太陽」と「X 運命の輪」と「XV 悪魔」です。

これは知っていますね……。
私が弟子を取っているんじゃないか、疑惑です。

もしかして、この記事の「記事差し込み論」の方ですかね?
自己紹介に入れろ。と……。
執念深い男だな。←


まぁ「ライバルは神」ですからね。

これは私の7人目のツインフレームの彼女の旧HP(本人が消してます)の中で、私が好きな一説です。
新世界のツインレイへ
Drop twinray with new world 202.

男性と女性による社会の循環

旧世界では、女性は男性を愛し、男性は女性を信頼していました。

男性は女性による信頼が欲しいものでしたし、女性は男性から愛が欲しい。

男性のなかに女の魂が入り、女性のなかに男の魂が入っていることにより、お互いが欲しいものをもらうことが難しい関係性でした。

しかし、新世界では男性のなかに男の魂が戻り、女性のなかに女の魂が戻ります。

旧世界による魂ばかりの世ですから、異性を愛しぬくことにより、神に与えられた自身を喪失させ、自身により神の意識をめばえさせる自己犠牲により、ツインレイの相手の心を生み出す経緯により、ツインレイのふたりは魂の男女を反転させることが出来ます。

神からの自立となり、ツインレイのふたりはそれぞれ神に依存することなく新世界で暮らすことになります。

ツインレイ男性はツインレイ女性を、神ではなく自身が守ることにより自尊心を持ちます。(ライバルは神でした。)

ツインレイ女性はツインレイ男性に甘え、神ではなく彼に守られることで安心感を抱きます。

2022年7月22日

あ、私が勝手にダウンロードしていたのです。
彼女的にはそう言うのはダメだったみたいですけどね。


で、自己紹介で私の話をするのに、サナンダメインの記事を掲げるのはダメなのか。
一度入れたような気もしましたけど、また変更して止めましたからね。

まぁ、あとでやりましょう。


***

「XVIIII 太陽」と「X 運命の輪」と「XV 悪魔」
ひっくり返そうとして置いてきぼりになった一番下。「XVIIII 太陽」
https://coconala.com/blogs/2997019/308393
カードが置いてきぼりに……。5/22
https://coconala.com/blogs/2997019/304684
カードがまた落ちた……。← 「XV 悪魔」 5/29
https://coconala.com/blogs/2997019/307057

20240422.jpg

「XVIIII 太陽」「X 運命の輪」「XV 悪魔」

太陽の元に再会する元悪魔の弟子。左の子はまだ目が慣れておらず、尻尾もあります。先に来た右側の子がねぎらってます。
太陽はずっと2人を照らしてきたのかもしれません。
真ん中(現在)は運命の輪です。スフィンクスに見守られながら、2人で運命を回しているのでしょうか?
時に必要なら、獣(かつて)の姿も受け入れて。
未来(右)は悪魔です。
これはどっちでしょうか?
己が弟子を取っているのか、やっぱり何かと繋がっているのか。

まぁ、どっちにせよ。
それも悪くはないのかもしれません。


「自分史」


自分史
ウィキペディア(Wikipedia)
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自分史(じぶんし)とは、自分自身の生涯あるいは半生の出来事を文章化したもの。

概要
従来から存在していた自伝あるいは自叙伝は、何らかの形で成功した個人の生涯の事業・事績を中心とした記録、立志伝である。それに対して自分史は、平凡に暮らしてきた人が、自身のそれまでの生涯を書き綴ったものである。自費になった1980年代以降、自分史を一冊の本書籍として刊行する人がいる。一般庶民の終活の一環として自分の生きた証を残す目的がある。

歴史的にみると、「自分史」という言葉に市民権が与えられるようになったのは、歴史家色川大吉の『ある昭和史 - 自分史の試み』(1975年、中央公論社)の出版以後だろうといわれている。これは、専門の歴史家が提起した概念であること。また、無名の人々が真実を表現する行為に、歴史としての意味があることがはじめて主張されたからである。
―以下略―
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