心という目に見えないもの

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皆様、こんにちは。
昨日は初夏を思わせるような陽気でしたね。
そろそろバイクに乗る時の上着を衣替えできそうです。

たかが○○だから~と言って卑下するのは誰であっても辞めた方が良いとハッキリ言います。
「たかが」と言うのならそれまでの努力や覚悟、涙などをすべて否定して自分を陥れることに繋がるからです。

その人が自分で自分を陥れて、不幸へと足を踏み込むことを止められるのなら、その時は喜んで「たかが」と言います。

それで相手に嫌われて縁が切れたらそこまでのこと。
その程度の対価でその人が涙も枯れて流れないほど酷い道に踏み込むのを止められるのなら、その時は喜んで言います。

他人に嫌われて使えない奴、無能、人間ではない、道具だ。
こういった言葉を言われる覚悟がない者が心という『目に見えないもの』を扱ったら、心の傷を深くえぐる結果にしかならないでしょう。

今日の余計な一言:返り血を浴びる覚悟がない者ほど、善意という悪意で他人を壊す。
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