『長い旅がようやく終わったか・・・・』
微笑みながら眠っている、かつての自分の姿を見下ろして、そっと静かに目を閉じた。
『お疲れさまでしたね、皆さん今か今かとお待ちしていますよ?』
『そうか、だがその前に最後の挨拶に行っても良いだろうか?』
『それは勿論です、旅を終えた者に許されている権利ですからね』
茶目っ気たっぷりに笑いながら、片目をつぶった。
「さて、そろそろ宿場町に着きましょうか」
『そうでございますな』
編み笠を手をした侍が、ゆっくりした足取りで歩いていく。
年の頃は二十を超えて、三十手前といったところか?
悠然とした足取りながらも、その姿には隙がなかった。
「峠の茶屋というのも良いものですな、お蔭で団子を楽しむことができました」
『甘味物は気をつけねばたちどころに腹に来ますぞ?』
「それもそうですな」
ニコニコと笑いながら話していた。
彼が話している相手が見えない者からすれば、侍が一人で話しているようにしか見えない。
その一方で侍と話している相手が『見える』者は、一様に驚いた顔を浮かべて見送っていた。
「二日ぶりの宿場町ですな、今日は畳の上で眠れると良いですな」
『それは影鷹殿が無理をしたからですぞ?』
「まったくです、反省致します」
朗らかに笑って答えた。
「ねえ、お侍さん」
「うん?なにかな?」
声がした方に侍が振り返ると、年のころまだ5つになるか否かの幼い女の子が立っていた。
「なんでお稲荷様と一緒にいられるの?」
「これ、お清!」
近くにいた親らしき女人が血相を変えて飛んできた。
「申し訳ありません、お侍様!どうかお手打ち(注:その場で斬り殺すこと)はご勘弁ください!!」
「お清殿、といったな?」
「はい」
幼児の視線に合わせて腰を下ろして、じっとその目を見た。
「これが何か、わかるかな?」
立ち上がると腰に佩いている二本の刀のうち、太刀を抜いた。
たちどころに雲が集まり、にわかに雷鳴が轟き出した。
「お侍様、ご容赦ください!!」
顔を真っ青にした母親が我が子を必死に抱きしめ、恐怖の叫びをあげた。
「黙れ、私はお清殿に聞いている」
何人も斬った者だけが持つ、人を人とも思わない、冷酷そのものの目で母親を咎めた。
「お清!」
眼前に差し出されたその刀を親の静止を無視して、幼子が触れた。
「きれい」
「・・・そうか、綺麗か?」
広直刃の波紋が静かに、波打つかのように瞬いていた。
淡い白い光が刀身全体を包み、優しく輝いていた。
ゆらゆらと光り、穏やかに波打つかのように光る白い輝きは、幼児にとっては綺麗なものとして見えるようだった。
「ならばこの刃の名を覚えておくと良い、白刃の雷刀と言う」
「はくじんの、らいとう?」
幼児には難しかったらしく、困ったように首を傾げた。
『影鷹殿』
「なにかな?」
『そろそろ鞘内に納刀せねば大雨が降りましょうぞ』
「そうでしたな」
笑って答えると、流れるような動作で淡く輝く太刀を鞘に納めた。
「白いお稲荷さん」
『なにかな、娘よ』
二尾の稲荷が鋭い眼光と共に問い質した。
「とってもきれい!!」
にこやかに笑うと、そのまま身をひるがえして母親に抱きついた。
「お侍様!どうか、お許しを・・・」
眼から涙を流しながら、我が子をきつく抱きしめた。
「案ずるな、斬ることはしない」
立ち上がり、見下しながら言い放った。
「母親であるそなたの眼前で我が子を斬られることは我が身を斬られるよりも苦しきことだろう、ならば我が子の言うことをしっかりと受け止めるが良い」
「お侍さん、母様は何も悪いことしてないよ?」
「そうだな・・・・」
微かに笑って、幼子の頭に優しく手を置いた。
「だが世の中には無礼討ちと言ってな、さしたる理由もなく斬る愚かな侍もいる。
そのような者の前では何も言わぬことだ」
「お侍さんは、違うの?」
驚いたように大きく目を見開くと、今度こそはっきりと笑った。
その笑顔は優しさにあふれていた。
「そうだな、私はむやみやたらに人を斬ることを好むことはない。
だが、お前の母様やお前が人に悪さをする、悪鬼悪霊の類となった時には容赦はせぬ。
その時はこの白刃の雷刀で問答無用で斬ることにしよう」
微かに刀を抜くと、わざと怖がらせるかのように、怯えさせるかのように怖い顔となった。
「・・・・怖い!」
「ははは、そう怖がらなくても良い。
母様の言うことを良くお聞き、そして大切な者を守れるように強くなると良いさ」
今度こそ笑うと、安心させるかのように頭を撫でた。
「お侍様・・・・」
「余計な心配をかけたな、これで娘に何か与えてやってくれ」
懐から財布を取り出すと、銀子を一つ手渡した。
「お、お侍様!」
「気にするな、長く達者で暮らせよ?」
母親の手に銀子を置くと、ぎゅっと握り締めさせた。
「さて、行くかな・・・・今宵の宿を探さねば」