人は平等なのか?

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はじめまして、Bardoと申します。このブログでは、読んで下さったかたの心が少しでも楽に、前向きになれるように想いを乗せて書いてみます。どうぞ宜しくお願い致します。

今日は「親ガチャ」について僕が感じていることを書いてみたいと思います。

僕の場合、記憶に残っている最も古い母の言葉は、「アンタなんか産むんじゃなかった!」であり、幼少の頃からヒステリックに悩まされてきたので、そういう意味で親ガチャに当たったとは思えません。

しかし「アンタなんか産むんじゃなかった!」の言葉通り、ガチャをしているのは親のほうなので、親ガチャという言葉には違和感というか、ずいぶん上から目線だなという気がしています。

とはいえ環境や外見などに恵まれているひともいればそうでないひともいるのは紛れもない事実。「人類皆平等」という言葉は色々誤解を招きやすいので、少々長くなっても「人類が皆平等に暮らせるように目指していこう」くらいに言うべきではないかなと個人的には思っています。

さて、物は角度によって見え方が変わる場合が多いように、物事においても多くの場合、角度を変えると見え方が変わってきます。

例えば親に恵まれていたり、肩書きや外見が優れているひとは、その色眼鏡で判断されがちなので本当の自分を見てもらいにくくなります。「なんでこんな人が……」というひとが自殺してしまうのも、そのひとにしかわからない苦悩があるからです。大小の差こそあれ、そういう意味では人類皆平等といえるかも知れません。

大事なのは、物事を見る角度を固定しないことで、もしあなたがなんらかのコンプレックスを抱いているならば、本当はそのコンプレックスこそ最大の武器だと言いたいところですが(言っちゃったけど……)、それは難易度が高いので、「自分の欠点も気づかず浮かれている馬鹿よりは、自分で欠点に気づいているだけナンボかマシ」くらいに思っておけばいいのです。

そのうえでどう自分と向き合っていくかについては、またあらためて書いてみたいと思います。

読んで下さったかた、有難うございました。また、もし個人的に相談したいことがあるようでしたら遠慮なく御相談下さいませ。

それでは良い一日を!
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